「憧れ」という単語を聞いて、思い浮かぶ人はそんなに多くはないだろう。私にとって、その人はどこにでもいるような、見た目だけの人ではなかった。

私のプライドは異常に高い。他人に求める理想も、おそらく異常に高い

私のプライドは異常に高い。そのせいか、他人に求める理想も、おそらく異常に高い。どこにでもいるような、といったら失礼になるが、普通の人ではどこか物足りなく感じてしまう。
それが異性ならなおさらだ。1つや2つは、他人の良いところを探そうと努めてはいるが、ほとんどの人はやっぱり物足りないと思ってしまう。
人は見た目じゃない、とか言うが、確かにそうだ。見た目だけで、中身の伴わない人は数え切れない。とはいえ、欲を言えば、見た目もそれなりに大切だと思う。やっぱりイケメンが好きというのは譲れない。見た目を上回るよっぽど秀でたものが中身に存在するなら、それもありかもしれないが。
社会人になって、同期生が40人ほど出来た。残念ながらといったら失礼になるが、同期生には、全く心を開けなかった。
話が合わない。一緒にいても、常に孤独しか感じなかった。すごいな、この人は、という人は正直いなかった。同期生の和を乱さないことが最低限自分の果たしたノルマだろう。他愛もない話をする時間が、正直苦痛だった。今さら会いたいと思う人は誰1人いない。

何もかも自分を上回り、私の心を震撼させた憧れの先輩が退職

その人との出会いは就職してから2年以上たってからだった。
年は2つ上。期も2年ほど上の先輩。いわゆるイケメン。しかし、それ以上に私の心を震撼させたのは、やはり内面だろう。
なんというか、自分を貫いている感じが、そのへんにいる人とはまるで違った。私自身も、個性というか、信念が強いので、自分自身を上回る人に初めて出会ったような気がした。多少の風には流されない感じ。プライドも高いし、何より自分に自信がある感じが、爽快だった。
職場では憧れのような存在はいない、と、半ば割り切っていた頃だったので、なおのこと、すごい人に出会ったと感じた。こういう人に私は憧れる、ストレートにそう思った。何をとっても、自分を上回ってくる感じが、最高だった。こういう人には及ばないが、だからこそ、追いかけたい存在だった。
つい最近、その人は仕事を退職してしまった。あまりにショックな出来事で、いまだに、私の心に空いた穴を埋められずにいる。
もう、憧れの存在の人がいない。目標とする人もいない。私は一体、何を追いかけていけば良いのだろうか。自分が思っていた以上に、それは辛い出来事だった。

この先、必死に追いかけたくなる「憧れの存在」は、現れるのだろうか

コロナになって、ちょっとした出来事にひどく落ち込んでしまうことが増えたような気がする。以前なら気持ちの切り替えをうまく出来ていたところを、いつまでも引きずってしまうことが増えた。気分転換に何かしようとしてもそれが出来ない世の中のせいにしてしまいたいところだ。そういうこともあって「憧れの存在」が消えた今の自分は、また1つ気持ちのマイナス面をしばらく引きずりながら生活していくことになる。

「自分」をしっかり持っている人って、自分が思っていた以上に、はるかに少ないと感じる。みんな、世の中の標準にうまく合わせているのか、そもそも自分というものを持つとかっていう考えがないのか、私にはよく分からないが、なんだかんだ言って、自分自身の偏った物差しで他人を見ようとしているのでそう感じるのだと思う。
これから先、私にとって必死になって追いかけようと思える「憧れの存在」は、現れるのだろうか。他力本願で生きていてもどうしようもないので、あえて言うなら、自分が誰かにとって、追いかけたくなるような「憧れ」の存在になりたいと思う。