「今いい感じの人がいるの~!」 「○社の企業に内定をもらえた!」 「あの子と付き合うことになった…!」 「昔から憧れてた仕事に就けたの!」
毎日誰かしらの、友人の吉報が舞い込んでくる。それはそれは嬉しそうな輝く笑顔を携えて。そんなとき私は目を見開いて、口角を思い切り上げて、自分が出せる一番高くて大きな声で、「うそ~~!?やったじゃん!すごいよ本当に嬉しい!!!」と祝福する。形だけ。
他人の喜ぶ姿は自分のことのように嬉しいって、よく耳にする。きっと多くの人はそうなのだろう。自分の大切な友人が夢を叶えるのだもの。喜びを感じているんだもの。当たり前じゃない。
他人の幸せを喜べない自分が大嫌い
その当たり前が、私は出来ない。 他人の幸せを、同じように喜べない。 どちらかといえば、妬ましい。
「別にあの子と同じ人が好きなわけじゃ ないけど」 「私も同じぐらいの数の内定があるけど」 「私にも彼氏はいるけど」 「この子の夢を目指したことなんてないけど」、心の底から喜ぶことは、ほとんどない。
幼馴染が就活で第一志望に受かって仕事が楽しいと言っているときに「まだ大した仕事してないだろうになに言ってるの?てかストーリーで「私この仕事が大好き!」みたいなアピールする必要ある??」と思ったこと。同じサークルの仲がいい子が褒められたときに納得いかなくて車内で「あいつのどこにそんな才能があんの!?全然祝えないわ!」と叫びまくったこと。
こんな自分が昔から大嫌いだった。
大切な友人の幸せを喜べない私。 幸せになれなかった話を聞く方が、悲しみを表すフリをして生き生きしてしまう私。 どこからどう見ても、心が腐ってる。 他人の不幸は蜜の味。よく言ったもんだ。 であれば、他人の幸せはなんの味? にがり?ドリアン?トマト?(トマトは私が嫌いなだけ) 人によって、違うのだろう。そもそも他人の不幸が蜜の味なんかしない人もいるのだし。 他人の不幸の味を好む人も、幸せの味を甘いと感じ好む人も、人間の中にはどちらも一定数存在すると思う。
これを書いている私は一般人of一般人。「ピアノ弾けます!」「賞持ってます!」「こんなことできます!」という特技や趣味が皆無。全てが平均値で構成されたような人間。その私が「他人の幸せが喜べない」と言っているならば、他にもいるはず。同じように感じてしまう人が。他人の幸せを喜べない自分を嫌っている人が。
もしこれを読んでる人で、私と同じ思考に陥っている人がいるのなら、言いたいことがある。
他人の不幸・幸せの味なんて知る必要はない
貴方と同じように他人の幸せに苦味を感じる人ものうのうと生きている。のうのうとこんな文章を書きながら電車に揺られてる。自分だけ異常に性悪だなんてことはない。他人の不幸も幸せもいい意味で「どうでもいい」。だって結局、貴方の人生は貴方が不幸か幸せかだ。
こんなことを書くと、偽善者ぶりやがって、ともう1人の自分がツッコミを入れてしまうが無視する。
他人の不幸は蜜の味か、他人の幸せは自分にとってどんな味か。
結局は決める必要がない。考えなくていい。自分の幸せが自分にとって蜜の味であることは、確かなことだから。それだけ分かっていれば。