昨年の10月。ちょうど約1年前。午後3時すぎだった。
大好きなギタリストが急死したというニュースが飛び込んできた。
その当時私が何をしていたのかはっきりとは覚えていないが、あまりにも衝撃的な知らせでしばらく動けなかったことは記憶に新しい。
あまりにも若すぎる死だった。
彼女は作詞や作曲も手がけるマルチなアーティストだった。作る楽曲はどれも耳にも心にも突き刺さる素敵な作品ばかりであった。
彼女の柔らかな笑顔と声が大好きだった。
笑ってさよならをしたくて、彼女がいたバンドのラストライブへ
なのになぜ。あんな才能にあふれた彼女がなぜ。悲しさと悔しさが募るばかりだった。
心に大きな穴があいた感覚。
やがて彼女のいたバンドは解散が決定した。
私は曲こそはよく聞いていたものの、ライブには行ったことがなかった。
「最後だから見届けたい」という想いもあったが、「みんなとちゃんと笑ってさよならをしたい」という想いがあった。
見かねたどこかの誰かがそのチャンスをくれたのだろうか。ラストライブのチケットが当たった。
そして今年の5月。東京 中野。厳しい状況下ではあったが、無事にライブは開催された。
会場に入ると、男女問わず彼女たちの登場を待つ観客が集まっていた。各々マスクをしていたが、みんな少し緊張した面持ちでいたような気がする。
午後6時30分。最後のステージが始まった。
心配そうな私たちに「ただいま」というように力強いサウンドから始まったこのライブは、これまでの彼女たちの軌跡をすべて吐き出すかの如く音がぶつかってきた。
声は出せないものの座席の前に立ち、頭を揺らし、思い思いに手を挙げている観客。
その場にいた全員が一体となり、旅立つバンドを送り出す温かくも熱い空間がそこにはあった。
そして、気づけば亡き彼女がよく使っていた白いストラトキャスターは、大きな存在感をもってステージ中央に鎮座していた。
不思議なものだが、またふらっとギターを弾きに戻ってきたのかもしれない、そう思えた。そうなんですよね?
彼女が「毎日を凛として過ごすためのお守り」と言っていた曲が最後に
一番印象的だったのは、そこに悲壮感は全くなく、むしろメンバーの笑顔がきらきらと輝いていたということ。メンバー全員が音楽を純粋に楽しみ誠実な音を奏でていたこと。
楽しそうに歌い、演奏する姿は疑う余地もなくかっこいいものだった。
みんなそれぞれが前を向いて歩こうとしていた。
私は、あの夜、あの空間で、大好きなバンドと、大好きな彼女にさよならとありがとうを伝えることができたと、思っている。
たとえその存在がなくなろうとも、彼女たちが心を込めて生み出した音楽たちは決して色あせることはなく、一人一人の胸にきっと残っていく。
アンコールの最後に歌われたのは、彼女が「毎日を凛として過ごすためのお守り」と言っていた私にとっても大切な1曲だった。少し歩みを止めて深呼吸させてくれるような曲。
これからも日常は続いていくけれど、羽を伸ばすように背を伸ばしていられるように。
『凛々爛々』と。
残してくれたたくさんのお守りを携え、明日も明後日も、生きていく。