私のエッセイはこれで11本目。まさか私が10本も書いていたのかと思うとビックリだ。
1本1500文字程度のエッセイだから、合計ざっと15000文字!よく写真集にある1万字インタビューを超えてしまっている。我ながら、なかなか続いているものだ。
どうして私がここまで続いているのか、エッセイを書いている時の心境をここに記したいと思う。

推しているアイドルがキッカケで、書くようになったエッセイ

エッセイを書こうと思ったきっかけは、峯岸みなみちゃんだ。元々推しているアイドルで、卒業コンサートはチケットが当たらず、自宅でライブ配信を見ながら号泣した。今彼女のファンクラブに入ろうと思いつつもシステムがわからず右往左往している。
……それはさておき、みぃちゃんがインスタグラムで、“峯岸みなみ賞募集!”というPRをしているのを見つけた。

「なんだこれは!?」とページを閲覧、かがみよかがみのサイトを知った。「え?え?これってみぃちゃんに読んでもらえるの?」とワクワクしながら概要を読んだ。
対象年齢を見ると、29歳までと書いていた。ちょうど私は29歳の誕生日が近づいていたので、「今書かないで、いつ書くの?」とやる気に満ち溢れていた。

しかし、私はエッセイというのを書いたことがなかった。せいぜい学生の時に書いていた読書感想文や、店舗ブログぐらいだ。しかも1500文字って原稿用紙3枚半……?気が遠くなりそうだった。

「とにかく書いてみよう!」と私はパソコンで入力し始めた。ずいぶん速くなったタイピングのおかげで、文章が思い付けばすぐに指が進む。文章が止まってしまうこともあったが、みぃちゃんに読んでもらえるかもというたった1つのモチベーションが私の指を走らせる。
途中から「あっ、私はこんなこと思ってたんだ」と気づくことがあった。他の人もそうなるのかはわからないけど、私は文章を書きながら本当はそう思ってたことに気づくということがたまに起きる。

そのうち1500文字を越えていて、締切の日にもなっていた。私はあわてて修正して提出、実に締切まであと数時間というところだった。

コロナ禍で不自由な今、自分の世界を表現できる場は時代に合っている

人生初のエッセイを提出し終わった時、何とかできたと達成感があった。そしてもう1つ感じたことがある。かがみよかがみは今の時代にあってるなということである。
みんな思い思いに文章を書いて投稿する。コロナ禍の不自由なこの時代に自分の世界を表現できる場なのだ。

私は源氏物語を思い出した。源氏物語に出てくる六条御息所(ろくじょうみやすんどころ)は、源氏が想いを寄せた人を、生き霊となって殺していたらしい。
恐ろしいシーンだが、今のように電車や車などがなく、簡単に会うことができないあの時代では、生き霊となって会いに行くということができたと言われている。

生き霊という表現までは言わないが、自分の普段考えている想いを、文章にして発信することは、想いを寄せている人に恋文を送ることに似ているなと感じた。
実際に私のエッセイは採用され、私の書いた文章がテレビの向こう側であるみぃちゃんの目に触れることになった。素晴らしい機会に恵まれて、私の最初のエッセイは掲載されることになったのだ。

言葉の力は魔法。凶器にもなるけど、誰かや自分を元気づけられる

最初のエッセイ掲載後、「1500文字、もうごめんだわ!」なんて思っていた私だったが、また新しいテーマが出てくると、「こんな想いがあるんだよね、書きたいな」という気持ちになり、2つ目、3つ目と増えていった。時々「この内容でエッセイ書けるな」とぼーっと頭に文章を思い浮かべている時もある。

私がエッセイを書くということに出会って得たもの、それは文章の偉大さだ。最近は「うーん、文章が数学の証明に見えてきた。もうちょっと文章の言い回しにバリエーションないかな」という悩みがある。でも、書き終わったときの達成感・掲載された時の照れくさいけど嬉しい気持ちもこみ上げてくる。

さっきの生霊の話ではないが、言葉の力は魔法だなと感じた。使い方によってはSNSでのいじめのように凶器にもなるが、その言葉で誰かや自分自身でさえもを元気づけれたりする。
30歳まであと1ヶ月。あと書けるエッセイは1つか2つぐらいだと思うけど、この魔法をもう少し使っていきたいと思う。

(https://mirror.asahi.com/article/13927070こちらのエッセイの体験談を書いています。)