あの夜があったから、何かが変わった訳ではない。
それでも、ふとした時に思い出すのはあの夜の一瞬だ。わたしは折に触れてあの時を思い、その度に、自分がどういう人間であったのかを確認している。
まさしく、その時に予期した通りに。
隣接者との距離は15センチ。他人なら意識することもない距離だけど
最初の国際学会を終えた、帰りの便のことであった。
経路の変更を経てようやくたどり着いた飛行機である。旅慣れした同行者は座席について何事か言っていたが、私は既に疲れ果てていたので何も思わなかった。
研究室でもだいたい隣席だし、飛行機で隣でも何も気にする事なんかないじゃないか、と。実際に座ってみても何も思う事はなかった。夜になるまでは。
ご存じの方も多いと思うが、エコノミーの座席は狭い。隣接者との距離はわずか15センチメートル程度である。他人なら特に意識することもない距離だと思っていた。
しかし、他人と見做すには、私は同行者に気を許しすぎていたらしい。
同行者は私より2つ年上の先輩である。頼りになる人で趣味が合うので懐いていたが、それだけの相手だ。少なくとも私はそう認識していた。
15センチメートルという距離は、暗闇の中で、もはや他人とは呼べない男の寝息を聴き続けるには少々短い距離であった。その事に私は遅まきながら気づき、動揺し、わりと緊張した。
頼りになるだけだった先輩が、自分の横で無防備に眠る幸福感
そして、それにも関わらず、私はその時間を図らずも幸福感を持って感受していた。幸せだったのである。
日頃頼りになる面しか見せない男が、自分の横で無防備に眠っているという事実。それが自分でも驚くほど幸せだった。この人間も体内に暖かな血と空気を抱いているのだという事が、どうしようもないほどに嬉しかった。
エンジン音と周囲の座席から漏れる電子光にまみれた騒がしい暗闇は、それでも私にとってひどく心地のいい静寂であった。その時間を、私は確かに惜しんでいた。少しでも夜が長くなることを心から願っていた。息を深く吸うタイミングをあわせ、吐息を重ねすらしていた。
きっとどうにかしていたのだろう。幸せとは脳内麻薬の濃度の異名である。自分の脳がどこかおかしくなっているな、と思いながら、それでも私は暗闇の中で呼吸の数を数えていた。
ジェット機の飛行速度はおよそ時速800キロメートル程度であるらしい。シベリアの上空、緯度60度における地球の自転速度、すなわち夜が明ける速度もまた時速800キロメートル程度だ。私たちは東に向かって飛んでいたから、おそよ2倍の速度で夜明けを迎えたことになる。
恋愛沙汰を望まない私に許された、最も幸福な夢。それがあの夜
2倍に濃縮された夜、傍らにある無防備な寝息。その暖かな湿度を聴きながら、私は諦念にも似た直感を抱いていた。
きっと、この瞬間を私は何度となく思い出すのだろう。この賑やかな静寂を、一瞬を永遠に引き伸ばして瞼の裏に飼い続けるのだと。自分にはそれだけで充分なのだと。
お互い交際相手のいる身ではなかった。何かを望むことは可能だったろう。
でも、私は何も願わなかった。仮に何かがあったとしても、何が起こったとしても、この夜の幸福を超えることは出来ないだろうと知っていたから。
だから、これが最善なのだ。特に恋愛沙汰を望まない私に許された、最も幸福な夢。それがあの15センチメートルの夜だった。
やがて朝が訪れ、機内は明るくなり、私は深い眠りから目を覚ましたような顔をして挨拶をした。そして何事もなく時が経ち、その人も無事卒業していなくなった。
数年が経った今でも、私は時折あの夜を思い出しながら青空を見上げている。そして、結局私はあの人が好きだったのかどうか、疑問に思う瞬間もある。
でも、確かめたいとは思わない。そのような事をしなくても自分は幸せになれる、と知っているから。
あの夜が教えてくれたのだ。時速1600キロメートルで夜明けに向かって駆け抜けた、あの雲の上の暗闇が。