ラブホテルに向かう。ただでさえ背徳的な心持ちに、コロナはより一層拍車をかけた。
人目に触れてはいけない。駅からホテルに向かうまでの道のりは、まるで、何か犯罪を犯しているような、底知れない切迫感をもたらしていた。

逃げ込むようにして入った部屋で、私は勢いよくベッドに押し倒される。マスクを手荒に剥ぎ取り、顔を近づけてくる彼氏を、彼女である私が拒む一瞬。
「濃厚接触」という文字列が頭をよぎる。
彼の唇は、目と鼻の先にあり、超えてはいけない一線はすでに超えている。今更、理性を取り戻したところで、強力なウイルスを排除することなんてできやしない。
それでも、私は口にしていた。
「だめ、手洗いうがいしなきゃ」

健気な努力も、一瞬の口づけで、水の泡と化してしまう

この期に及んで、正しく刷り込まれた倫理観に従う自分に呆れた。強力な睡魔を払いのけるように、重力に逆らうように、ベッドから身を起こし洗面所へ向かう。
お互い、その手は素手じゃない。彼氏は軍手、私はビニール手袋をはめたまま、所在なげに鏡の前に立っている。

相手に触れ、相手に触れられることで成り立つセックスには、清潔な手がなければいけなかった。だから、肝心の身体に触れる、その瞬間までは、決してウイルスを持ち込まないように、神経質なくらい、あらゆるものとの接触を防ごうと試みた。
電車でつり革につかまったりしないように、うっかり改札にタッチしてしまわないように、もしそうなっても、すんでのところで回避できるように、健気な努力を怠らなかった。

そこまでして用意周到に施したものも、一瞬の口づけで、水の泡と化してしまう。
そんなことわかっているけど、だからといって、抑えられない彼氏の興奮も、本来責められるべきものではまったくないはずなのに。
常に気を張っていなければならない時間の長さが、あまりに度をこえていて、二人だけの空間に身をおいたが最後、あやうく全てを忘れかけてしまう。
本来、無防備でいいはずの手や口が、幾重にも重ねられた物質で覆われているせいで、滑らかな営みの全てが、台無しになる。間が、悪くなる。

理屈なんて入る余地のないほど、もう抑制がきかない

2人して、この世に悪態をつきながら、乱暴にハンドソープをプッシュする。
性欲という獰猛な魔物を一時的に押さえつけながら、どこか許しを請うように、後ろめたさをかき消すように、何度も何度も見えない汚れを洗い流す。罪滅ぼしのように、なんだかんだで手洗いうがいを遵守する私たちは、どこか滑稽ですらあった。

ようやく除菌を終える。時計の針は、すでに先程から15分は経過していた。
3週間ぶりに会えたのに、今日はフリータイムじゃないのに、3時間しかできないのに、大切な数分を奪われたことにまたしても悪態をつきながら、一寸の間も惜しむように、私たちは再びベッドになだれ込んだ。

激しいキスを交わし、互いの身体を貪り合う。あらゆる細胞が雄叫びをあげる。
とにかくつながりたい。一つになりたい。
抑え込んでいた感情が、土石流のようにあらゆる不純物をなぎ倒し、迫ってくる。
求めれば求めるほど、皮膚が擦れ合い、濃厚接触以外の何物でもない営みに溺れていく。

「不要不急の外出はお控えください」
「連休中はステイホームをお願いします」
「やむを得ず外出する際は、3密を避けてください」
「人と人との間隔を約2メートル空けて」
「ソーシャルディスタンスを保ちましょう」

今、私たちは、これら全てに背いている。

「感染しない、させない」
「自分を守るために。大切な人の命を守るために」

感染しているかもしれない。感染させているかもしれない。
自分と、その大切な人の命を脅かしているかもしれない。
それでも、理屈なんて入る余地のないほどに、私たちの身体は火照っていて、もう抑制がきかない。そもそもほとんど死に近い、命がけでやるセックスが、不要不急のはずがない。

他人(ひと)のセックスを笑うな。

そう叫びたい気持ちをそのまま全身にこめて、否応なく貫かれる絶頂に、身を預けた。

自分を正当化させて、祈るように明日が来るのを待つ

その夜、風呂からあがると、ほんの少しの倦怠感を覚えた。
久しぶりに一つになったせいだろうか、身体が少しだるい。
普段なら気にもとめないかすかな変化に、やけに敏感になるのもコロナのなせる業だった。

事に及ぶまでの月日は、途方も無く、その日に至るまでの対策は骨が折れるものだが、事に及んだあとの経過もまた、相当、心を疲弊させる。
何かの拍子にほんの少しでも異変を感じたら、あの日の行為に全てが集中する。

でも、今から悔やんだところで、もう遅い。
そう言い聞かせて、自分を正当化させて、祈るように明日が来るのを待つしかない。
近くて遠い、彼氏とのLINE通話に甘んじながら。
決して触れることのできない、その輪郭を指でなぞりながら。

愛し合うという根源的な行為を前にして、いちいち言い訳をするように生きる日々が、果たして生きていると言えるのか、私は心もとない。