あの夜、私は泣いていた。スマホで電話しながら、声も殺さずに。
電話口の相手は男性だった。でも、別れ話とかそういう類ではない。
サークルの顧問との電話だった。泣いている私に、泣かないで、とかそんな陳腐な言葉はかけなかった。具体的な年齢は忘れたが、顧問は私より20歳以上は上だったと思う。当時私は大学生だった。
サークルの会長と連絡がつかず、全ての仕事を引き受けることに…
年齢を重ねるほど人前で泣くことは減っていくし、ましてや電話口で泣くことなどなかなかないことだ。それなのに、なぜ私は泣いてしまったのか。
勿論、それには理由がある。サークルの中で私は役職についていた。
役職というと、会長などを想像しがちだがそうではなく、簡単に言うと外部の人に連絡をとる、コネクション係のようなものをしていた。卒業した先輩方しかり、完全に外部の方しかり、LINEではなくメールでやりとりをするような少しかしこまった仕事内容であった。
サークルでは、毎年OB会と言って、現役部員とOBの方との交流会が行われる。その開催のための準備を現役部員の会長を中心に進める。
だが、会長と全く連絡がつかず、このままでは開催すら出来なくなってしまうため、そのような事態は避けなくてはいけないと思い、気づけば私が会長の代わりに全ての仕事を引き受けていた。
やる必要のない作業と叱責を受ける日々に、メンタルは限界を迎えた
なぜか私が前会長からその仕事の引継ぎ資料を送ってもらい、顧問に相談し連携をとりながら、OBの方に連絡をとって準備をしていた。主な仕事は出席者の名簿作成であったが、顧問よりも年上のOBの方などもおり、それくらいの年代から私の代までの名簿というのは本当に膨大だった。自分の祖父でもおかしくない年齢の人もいたわけである。
膨大な量の仕事をほぼ一人で行ったせいで、名簿作成の際に間違えることが何度かあり、OBの方に名簿を送っていたため、その間違いを指摘されることもあった。
それ自体は私が間違えているから仕方のないことではあるが、メールでも伝わるくらいに厳しい内容の言葉が並んでいることもあった。また、名簿の件だけでなく、運営の方法など多岐に渡る内容での叱責のような言葉が続き、それを読む度にどんどんとしんどい気持ちになっていった。
本来ならば、自分がやる必要のない仕事を巻き込み事故のような流れでやる羽目になっただけでも、ストレスが溜まっているのに、更にそこにOBの方からの叱責が重なり、メンタルが限界を迎えていた。
あの涙は、理不尽な目にあっても「そんなものか」と流せるキッカケに
ある日、名簿の件で夜に顧問と電話をすることがあった。泣くつもりではなかったのに、気づいたら泣いていた。泣いたら恥ずかしい、とかそういうことを考えている余裕もなかった。本当に辛い時の涙は流れる、というよりこぼれる、そんな感じだ。
大学生にとって、何十歳も上の大人から厳しい言葉を言われるというのは、これまでにない経験であり、想像以上に心にくるものがあった。経験がないから、それを受け止めるだけの受け皿も当然なかった。
ひとしきり泣いて落ち着くと、顧問は私に大人の世界は理不尽なのだ、というような旨のことを言った。その言葉は私にとって、慰めには正直ならなかったけれど、顧問が一番私の仕事ぶりを見てくれていたので、泣きたくなる気持ちはきっと理解してくれるだろうと思い、それは救いであった。
当時を振り返ると、確かに顧問の言ったその言葉の真意も今なら理解出来るし、そういった経験をしていて良かったのかもしれないと思った。
なぜなら、理不尽な目に遭っても、まあそんなものか、と今なら適当に流せるようになったのだ。正面からぶつかると、全てのダメージを被りきつくなると実感を持って知ったからだ。理不尽に対するには、まず理不尽とはなんたるかを知る、そこからである。そしてそれが、次の理不尽に生きる。
今後も理不尽な出来事は襲ってくると思うが、このスタンスを忘れずにいたい。あの時の涙が無駄にならないように。どんな出来事にも、それが起こる意味があるのだ。人は何歳になっても、こうやって学ぶことが出来る。