社会人1年目、疲れ果てていた。
左右どっちを向いても分からないことばかりで、必死にもがいていた。
部署の中でも厳しいと有名な先輩のもとで、書類は何度提出しても真っ赤に直されて返ってきた。

念願の職。勉強ではどうにもならないことは、無茶で補うしかなかった

就職するまで、真面目に努力してきた。
高校受験に失敗して併願ですべり込んだ高校では、大学受験でリベンジするため必死に勉強した。
第一志望とはいかなくても満足できる大学に入り、真面目に単位をとって資格もたくさんとった。
就職の試験のために1日に10時間も勉強し、本番のテストでは満点高い点数を取った。
そして念願の職に就いたが、これまでの努力の成果が発揮できる場面は皆無だった。

勉強ではどうにもならないことを求められ、経験のなさを時間や無茶で補うしかなかった。
慣れからくる、少しの気の緩みも叱責され、その度に自己肯定感が下がっていった。
今ではうまくリカバリーできることでも、当時はその発想も方法も思い浮かばず、頭が真っ白になることもよくあった。

想定外のことに恐怖しては安心できるまで準備をし、先輩からの指摘にはどうしたらいいか分からず硬直する日々だった。
当然、自分の生活には手が回らず、一人暮らしの私の夕飯はもっぱらインスタントやカップ麺だった。
それでもほとんど体調を崩さずにいられたのは、当時の若さと、休めない(休んではいけないと思っていた)緊張感からだろうか。

私のミスで白紙になった計画。先輩たちの優しさに甘えることに…

そんなある日、外部との連絡ミスで、立てていた計画が白紙になったことがあった。
そのせいで、チーム全体の計画の調整が必要になった。明らかな私のミスだった。
定時後で、同じチームの人たちはほとんど帰っている時間帯だった。
今だったら「やっちゃったな、でも何とかなるだろう。ま、明日考えよう」で終わっただろう。

だけど当時の私には当然そんな余裕はない。
主任に叱られる。何て言い訳しよう。周りのみなさんに申し訳ない。せめて代案を立てて提案くらいはしなければ。でも代案なんて思い付かない。どうしよう。
そんな思考回路に陥り、何もできないのに時間だけが経っていった。

その時間に残っていた先輩が「大丈夫。明日みんなで考えたらいいよ」と励ましてくれた。
主任にも恐る恐るメールで報告すると「そんなこともあるよ。今日はおいしいものでも食べて明日また頑張ろう」とメッセージが届いた。
周りの優しさに甘えて、結局その日は帰ることにした。

迷惑をかけないため「何か食べなきゃ」と手を伸ばしたカップ焼きそば

だけど、自分が情けなくて仕方なかった。
普段から迷惑をかけているのに、また迷惑をかけてしまった。どうしてこんなに駄目なんだろう。
もう辞めたらいいのに、とみんな思っているだろう。申し訳ない。明日が来なければいいのに。

職場では我慢していた涙が車の中で溢れてきた。
家に着いても動けなくて、しばらく駐車場で泣いた。
やっとの思いで自分の部屋に帰るも、とても夕飯なんて食べる気にならない。
食べる気にならなくても、何か食べないと体調を崩してしまう。体調を崩して休んだら、また周りに迷惑をかけてしまう。だから食べないと。
そんな気持ちで手を伸ばしたのはカップ焼きそば。

今ならもっと栄養のあるものを選ぶのだけれど、当時はそれが精一杯だった。
泣きながらお湯を沸かし、しゃくりあげながら3分計り、鼻を垂らしながら湯切りをした。
ソースとかやくを混ぜると、いい匂いがしてきた。
ソースの匂いが胃袋を刺激し、実は空腹だったことを思い出させた。

ダメな自分とも、意外とタフな自分とも出会えたあの夜を思い出す

涙と鼻水の区別がつかないくらいめちゃくちゃに泣きながら、カップ焼きそばをかきこんだ。
お腹に何か入った安堵感や温かさで、さらに涙がでた。
もはや濃いはずのソース焼きそばの味も分からなくなっていたけれど、一心不乱に食べた。
時々、喉に詰まりそうになっては水で流し込んだ。
焼きそばを食べ終えると、さっきよりも少し冷静になった。ビタミンを摂った方が良いような気がしてきて、家にあったオレンジを食べた。
そのうちに顔の水分も乾いてきた。

仕方ない。明日になったら何とかなるだろう。
そんな気持ちになってきた。
そしてお風呂に入り、目覚ましをかけて翌日に備えたのだった。

そんな夜があった。
どうしようもなくダメな自分とも、意外と図太くタフな自分ともこの時出会った。
今では少し器用になったけれど、今でも同じような夜を過ごすことがある。
不思議なことに、そのたびに想像もしない新たな自分と出会うのだ。

きっとこの先も泣いたり怒ったり食べたりしながら、しぶとく生きていくのだろう。