腹が立つ裏切りの代名詞といえばドタキャンだと思っているが、私は一度のドタキャンで他人と自分の両方を裏切ったことがある。
近隣中学の生徒会役員が集まるキャンプの会長を目指して、生徒会長に
中学生の頃、生徒会の会長に任命されていた時期があった。当時、頭と素行の良さだけは努力で維持しており、順調に選挙を勝ち抜いたのだ。
立候補した理由は、学校をより良くしたかったわけでも、内申に有利にだからでもなかった。私は、学校なんか心底どうでもいいと思っているクソガキだったし、内申点よりも試験の点数が重視される高校を志望していた。
私はただ、“近隣中学の生徒会役員が集まってキャンプをするイベントの主催校”の会長になりたかった。今まで自分の学校がそれに選ばれたことは一度もなく、それをどうしても成し遂げたかったのだ。
周囲の協力もあり、コンペで主催権を勝ち取ったのは、会長になってすぐのことだった。当時、家の中が上手くいっておらず、周囲を見返したい気持ちが留まっていた私は、嬉しくて泣きそうになったのを覚えている。
しかし、その後状況は暗転した。生徒会の顧問が急遽変わってしまったのだ。新しい顧問は、生徒と友達感覚で慣れ合うことに重きを置き、生徒と一緒になって仕事をサボる人間だった。
そして、私と同学年のメンバーもまたそれに倣い、生徒会室でぐだぐだと喋るだけで、後輩に仕事を押し付けるようになっていった。顧問を嫌っていた後輩と私だけが雑務をこなしていく日々。私は次第に疲弊していった。
顧問と同学年メンバーに振り回されなくて済むと安堵したが、失望した
そんなある日、打ち合わせの途中で顧問は私に「お前の話、誰も聞いてないけどさ。お前は今、誰に向かって話してんの?」と言った。
皆の手元には、近日行われる避難訓練の誘導表があった。打ち合わせの前日までに、各方面に確認を取った連絡事項をできるだけわかりやすく伝えられるようにと、寝る間を惜しんで私が作成したもの。再三注意をしたが、私の説明中に顧問と同期のお喋りは止まることはなかった。
例のキャンプもいつの間にか明日に迫っていたので、とにかく終わらせなければと焦って説明を続けていた時にかけられた言葉が先ほどの言葉だった。
次の日、顧問の携帯電話に「熱が出たからキャンプには行けません」と一報を入れたのは、自分にとって酷く自然な動作だった。熱が出たなんて、勿論嘘だ。平熱の私は、ベッドに戻りもせず、ただぼんやりとテレビを眺めていた。
今まで汗水流して頑張って手に入れた結果を放り出さなければならなかったことよりも、これでキャンプの期間中、あんな奴らに振り回されなくて済むという安堵が勝った。
そして、そう感じる自分に酷く失望した。私が裏切ったのは、メンバーでもあり、「こんな私でも何かを成し遂げられた」と喜ぶ在りし日の自分でもあった。
テレビではちょうどニュースが流れていて、どんな内容かは忘れたが、しょうもない不祥事を起こした誰かが大きく画面に映し出されていた。私は「クズじゃん」と呟いた。口から溢れたその言葉は、目に映る光景にだけ向けられたものではなかった。
「中学時代何かやってたの?」という質問に「何も」と答えるしかない
後日、キャンプの詳細を聞いたがあまり上手くいかなかったらしく、一度反省会をしたらそれから先は話題にすら出されなかった。
高校受験の際、内申書に書かれた“生徒会会長”は想像していたよりもプラスに働いたようだが、担任教師の立派な字で書かれていたそれが、どれだけ空虚な裏切りでできているか、私は知っていた。
「中学時代、何かやってたの?」という質問がある。社会人になってもよく問われるそれに、私は「何も」とそっけなく答えるしかなかった。
その時の自分は恐らく、汚れたシーツを隠す子供のような表情をしているのだろう。もう、成人をとっくに過ぎているというのに。