私にとって憧れの人はたくさんいる。身近な存在である母や友人や恩師。有名な作家や立派な行いをした人。小説や映画等に登場するキャラクター。
「あの人に憧れて」というテーマを見たとき、一体誰のことを書くべきか随分迷った。秋の訪れを感じるひんやりと涼しげな午後、台所でぼんやりと皿でも片付けながら思考を巡らすうちに、ふと大学時代に文芸部の後輩から言われた言葉を思い出す。

「ゆかりさんに憧れて」。大学時代、後輩の突然の告白

「俺、ゆかりさんに憧れてタバコ始めたんですよね」。チャラくて不真面目なところもあるけれど、いつもにこにこしていて芯が強くて気遣いができ、さらに人懐っこい性格の後輩。誰からも可愛がられていた二つ年下の男の子だ。
もちろん私も皆と同様、彼を後輩として可愛く思っていた。どころか、口下手でうまく部の先輩たちと仲良く出来なかった経験のある私としては、後輩とはいえむしろ人間的に尊敬できる子だとさえ感じていた。
「ゆかりさんが『私もタバコ行こー』ってぴょこぴょこ走ってくの見て、可愛いなーと思って」。まさかそんな風に思われていたなんて全然知らなかった。
あの頃、部の役員やゼミや人間関係や単位のこと等、様々なストレスフルな状況が重なったことと部の同輩の多くが喫煙者だったこともあり、私もしばしば喫煙していた。大抵、部活のあとで男の同輩二、三人と一緒に喫煙所に行っていたから、きっと彼はその光景を目にしたのだろう。
さらりと「憧れ」発言をされたのは、部の引退目前の早春のこと。私たちの代の集大成となる展示会開催前夜、景気づけにと口実をつけて美味しいお酒を飲もうと、数人の気心のしれた部員だけで居酒屋を満喫していたときだった。

こんな私に憧れを抱いてくれていた。驚きと嬉しさがわいてくる

自分のそんな何気ない言動が誰かに刺さり、「憧れ」を抱いてくれていたとは。とても予想できない告白だったので驚いた。けれど、一目置いていた彼が私に憧れてくれていたのは、正直にいえばとても嬉しい。少しだけ、自分への自信が湧くような気がした。
結果的に喫煙を助長することになってしまった点については、是とすべきか判断に迷うところではあるけれど。
私は、自分にまったく自信がない。容姿にしても性格にしても能力にしても、なにもかも。
私自身の自己肯定感が低すぎるだけで、客観的に見ればどこかが抜きん出て優れているということはないにせよ、そう必要以上に悲嘆にくれるほどではないのはわかっているけれど、わかることと感じることは違う。
ただただ、毎日を自分のペースで生きているだけなのに、いつの間にか周囲の誰かが自分に対して「憧れ」の気持ちを抱いてくれて、さらにその誰かの言動に多大な影響を与えた。そしてそれは、大抵なにか素晴らしいポジティブなことにつながる。
彼はタバコを始めたことで、喫煙所での私たちの会話に参加することが増え、部の運営への興味と幹事になりたいという目標が出来たようだ。

大切な人にはポジティブな言葉を。素直な憧れの気持ちを伝えたい

彼のように素直に「憧れ」を伝えてくれる存在のありがたさを身に染みて感じる。伝えられた側は、心に暖かな光が灯る。けれど多くの場合、相手に直接自分の気持ちを伝える行為は気恥ずかしいものだ。
私もきちんと伝えたい。「憧れ」以外の「感謝」や「本音」、「自分の意見」といった口に出すのが少々憚られる言葉も、躊躇わずにきちんと伝えたいと思う。
そう。まずは身近な家族に。何事にも一生懸命な母に、「愛している」と。毎日LINEをくれる友人に、「ありがとう」と。大好きな小説を書く人に、「面白かった」と。
コロナ禍。春の訪れを待ち焦がれる雪下の草花のように、誰もが下を向きじっと我慢を強いられるこんなご時世だからこそ、大切な人にはポジティブな言葉を、素直な「憧れ」の気持ちを伝えることで、心に豊かさを届けたい。