溶き油と絵の具の、鼻を刺すようなにおい。疲れることもあったけれど

色とりどりに汚れたカーテンが、昼下がりの光に漂う。時折、吹く風で本来の白い地の色が光に照らされ、微かに輝いている。
美術室の戸を開け、その光景に見惚れようとする刹那に、溶き油と絵の具の入り混じったにおいが鼻を刺す。
初めて嗅いだときは刺激が強すぎて痛いくらいだった。

私は高校に入ってから油絵を描き始めた。それまでは美術館で観る対象のもの、という認識だった。
強いにおいに戸惑いながら描き始め、色の積み重ね、筆先から手に伝わるねっとりとした感触、筆致の立体感に夢中になった。

展覧会への出展が近づく休日には、美術室にこもって描いていた。夕日がキャンバスをオレンジ色に染めるころには、あのにおいを吸いすぎて頭がくらくらすることもあった。
あのにおいには頭を痛ませられることもあった。疲れた記憶もあった。他の空気を吸いに行きたいと思ったこともあった。
それでも、あのにおいは嫌いになれなかった。

このにおいに、すべてがつまっていた

ツンとしたにおいは、絵を描いていた時間にまつわるすべてが紐付いていた。

棚一面を埋め尽くす道具を目にして、何を買ったらいいか分からず、画材屋さんで途方に暮れたこと。
「重い、重い」と友人と文句を言いながら、作品を搬入したこと。
混色しすぎて暗くなった色ばかりになったパレット。
休憩にみんなでこっそり食べたビスケット。
先輩たちの絵をはがして、新しく貼り直したキャンバス。
どうしようと悩んだ将来。
少し照れながら話した恋バナ。
誰かが忘れていった中学の体育着。
もう、ここに来ることはないのだと涙ぐんだ日のこと。

ここに、このにおいにすべてがつまっていた。
だから、ツンとしたにおいを嗅ぐとあの日のことたちを鮮明に思い出すことができる。

すべては授業で初めて美術室に来た日からつながっていたのだ。
自由課題で絵を描く下書きをしているときに先生は言った。
「蓮が好きなの?」
上手さとか技術とか表面的なことではなく、絵の中にある気持ちを汲み取ってくれた。伝わったのだ。
言葉以外でも伝える手段はあって、その手段でしっかりと想いは伝わるのだ、受け取ってくれる人もいるのだ。そんな単純なことに気づいたあの日。
それから、経験もないのに美術部に入ろうと思った。

ツンとしたあのにおいを思い出すと、私は私のままでいいのだと思える

絵の具で汚れた白いカーテンと、あのにおい。
高校を卒業して、大学に行って、会社に入って。泣いた夜も数え切れないほどあったけど、ツンとしたあのにおいを思い出すと、私は私のままでいいのだと根拠なく思える。

表現をして、わかり合えることも、わかり合えない日もあって。
嫌になっても、あのにおいが少し私を強くする。
強くくせのあるにおいだけど、私はあのにおいが好きだ。絵を描かなくなった今でも、そのことだけは胸を張って言える。

伝える手段は絵ではなく、文字になったけど、想いを伝えようともがいて、ときには伝わらなくて、伝わって、嬉しくて。
あのにおいには結局、今にたどり着くまでがつまっている。
嗅ぎすぎて頭が痛くなっても、あのにおいは私にとって大切なのだ。