夕陽のような音を鳴らす人だった。わたしが初めて憧れた人で、一生憧れの人。わたしが吹奏楽部に入部したときの3年生、同じ楽器の先輩。
パートリーダーやコンサートミストレス、実力がなきゃできない役職を任され、全て真っ直ぐにこなしていた。期待には必ず応える。でも決して驕り高ぶったりしない。上手で、謙虚で、ひたむきな人。

吹奏楽部の先輩への憧れ。それは、卒業しても決して冷めなかった

「先輩みたいになりたい」いつしかそれが、わたしの口癖になった。何か選択を迫られた時や、どうしても練習が嫌になった時。いつも考えたのは「先輩ならどうするだろう」。先輩の存在が、わたしを導いてくれた。
先輩の、あたたかく落ち着いた、ときには淡々とした、あの夕陽のような音は、わたしの音楽性だけでなく戸惑いや躊躇いまでも照らしてくれた。
先輩をパートリーダーとコンサートミストレスに任命した顧問の先生は、先輩の卒業後、わたしをパートリーダーとコンサートミストレスに任命した。
なれない、と思った。わたしは、先輩のようには。先輩のように上手にはなれないし、先輩のように頼れる存在にもなれない。同じ役職に就いたからと言って、同じようにできるわけじゃない。でも、先輩みたいになりたいという気持ちは誰にも負けないし、そのための努力は惜しまなかった。
先輩の隣で吹けた時間はわずか1年。正確には8ヶ月程しかなく、先輩は卒業後、吹奏楽部の強豪校へ進んだ。わたしは、先輩とは違う強豪校へ進んだ。隣で吹くことがなくなっても、高校でたくさんの人や音に出会っても、先輩への憧れは決して冷めなかった。

わたしは音楽大学へ。それでも、先輩には追いつけない

先輩は先輩の好きな音楽を奏でる学校へ、わたしはわたしの好きな音楽を奏でる学校へ進学しただけ。「先輩みたいになりたい」。隣で先輩の音が聴けなくても、わたしは「先輩みたいになりたい」。
先輩は大学で楽器から離れた。わたしは音楽大学に進んだ。楽器が趣味になった先輩と、師匠のもとで音楽を学ぶわたし。きっとわたしの方が、楽器を吹いている時間も、音楽を専門で学ぶ時間も長い。それでも追いつけない。あの、夕陽のような音には。
音楽大学で楽器を続けるわたしに、先輩は「大学まで音楽続けてるの、本当に凄い。続けるって簡単なことじゃないよね」と言ってくれた。
「続けるって、簡単なことじゃない」。勉強から逃げて、自分の好きなことだけを続けていることに恥ずかしさを感じていたわたしにとって、憧れの先輩がそう言ってくれたことが、なによりも嬉しく、その言葉がわたし自身に味方してくれた。

「憧れるような人じゃないよ」。申し訳なさそうに照れた不器用な人

先輩が就職した頃、2人で食事に行った。「ずっと思ってたけど、なんでそんなに尊敬してくれるの?嬉しいけど、うち、そんなに憧れられるような人じゃないよ?」「思ってくれてるほど完璧な人間じゃないよ。結構適当なところあるし」。
先輩は本当に分かってないな。それも全部含めて「憧れの人」なのに。先輩が完璧だったら、わたしは憧れてない。努力家で、謙虚で、器用なのに不器用で。「憧れられるような人じゃないよ」と申し訳なさそうに照れて、「適当なところもあるし」と恥ずかしそうに笑う。完璧じゃないところも、素直な言葉も表情も。全部含めて「憧れの人」。
今年、わたしも社会人になった。休日には楽器ケースから楽器を出し、部屋から見える夕陽に向かって、鳴らす。先輩に出会って10年。わたしは今日も「先輩みたいになりたい」。