高校3年生の冬。すべり止めも何にも受けずに、自分の学力も、得意な科目も無視して、薬学部を受けた私。
数学も、化学も、物理も苦手で、それでも薬剤師という職業にだけあこがれていたので、迷いなく薬学部のある大学に願書を提出した。
大人気の学部にも関わらず、とりあえず受験すれば受かるだろう、という謎の自信と甘い考えを持っていた私は、そこまで努力せずに志望校を受験した。
こっそりと貯金をしていた父。予備校の費用も、ぽんと出してくれた
当時まだあったセンター試験もボロボロで、目標点に届かず、二次試験でどれだけがんばっても受からないだろうとわかりきっていたのに、志望先を変えなかった私は、当然落ちた。
パソコンの画面をいくら探しても、私の受験番号はなく、その日の夜は泣きながら父親と話をした。
「これからどうする?」
と、父に聞かれた私は、
「18から働きたくないぃぃぃ。」
と、18歳から定年を超えて働く父親に喚き散らし、1年間予備校に行かせてもらった。
父は、40年以上会社の懇親会以外は遊びにも行かず、家にお金を入れて、こっそりと貯金をしてくれていた。約200万円かかる予備校の費用も、ぽんと出してくれたのだった。
父からは、「もう一年、気を抜かずにがんばれよ」と背中を押してもらい、予備校生活が始まった。
受験費用で10万円超え。「絶対私学は!」と意気込んでいたら
一年間、地元から少し遠い予備校に毎日通ったが、結局勉強に身が入らず、ほかの学生たちより努力をしなかった私は、現役時代に目指していた薬剤師をあきらめ、「樹木医になる」とまだ理系の大学に固執して受験に臨んだ。一年浪人しても、数学は苦手、化学はダメ、物理はあきらめて勉強すらしていなかった。
現実は見えていたので、すべり止めの私立は全部文系の大学を受けた。国語は得意、英語は好き、世界史は趣味で資料集を読み漁っていたので、受験区分も文系の科目のみで受験した。受験費用だけで10万円を超えて、「絶対私学は受かろう…!」と思って意気込んでいたら、するっと受かり、前期の大学受験も終わって少しほっとしていたころに事件が起こった。
「お前、大学(私立)の入学費用の支払いの紙、どこやった?」
と、父が聞いてきた。
「どっかの引き出しの中かな……。なんで?」
「私学の入学金、確か早めに支払うはずだった気がして聞いてみた」
「え?知らないよ……」
「一回見せて」
確認してみると、入金の期日は次の日だった。入学金は、父の手持ちでは払えないくらいの金額で、次の日に貯金を切り崩して払ってくれた。
子供を持ったら、父みたいに子供のピンチを助けられる親になりたい
そして、前期の国公立大学の合格発表の日。また私の受験番号はなかった。後期の国立大学も、受かる望みはほとんどなかったが受けた。そして落ちた。
後期試験で志望大学から落ちたと知った日、最初に思ったのは、「父さん、入学金の支払いに気づいてくれてありがとう。」ということだった。
もし、父親が入学金の支払いに気づいてくれていなかったら、私はもしかしたら大学に行けていなかったかもしれない。そして、働くか、浪人2年目を迎えていたかもしれない。
今は入学させてもらった大学を卒業し、何とか社会人3年目。父はまだまだ現役で働いている。
家庭を持つかはわからないけれど、もし私も子供を持つことになったら、父みたいに子供のピンチを助けられる親になりたいな……。
お父さん、ありがとう……!