私は物心がつく前から、恐竜が好きで、地学が好きで、宇宙やロケットが好きだった。
小学校に上がる前から関東圏の恐竜博物館の類にたくさん連れて行ってもらったし、上野の国立科学博物館は庭のように歩けたし、何時間でも遊んでいられた。
小学校の理科は大好きだったし、自由研究は大の得意。中学の理科は学年で常に一番。高校に入っても化学と物理が驚くほど得意だったけれど、それに関して「科学が得意なんだ」とは思ったことが無かった。

しかし高校で初めて、どうやら自分は『理系』と言われる類の人間らしいと気づいた。

理系科目が得意だったけど、国語も社会も大好きだった

私の通っていた高校は、高校一年の時に文理選択をする高校だった。私は当時、とにかく社会と漢字が苦手で、このまま文系に進んだら地獄を見る…という思いから理系を選択した。
幼少期から科学が好きだった私だが、同時に、小学一年生の頃にはハリーポッターにハマり、小学三年生では祖母の蔵書の歴史書を読み漁っていたような本の虫でもあった。つまり、決して「趣味だから数学と科学が得意で、好きではないから国語と社会が苦手」なわけではない。
私は国語も社会も大好きだったが、兎にも角にも暗記が苦手だったのだ(そして現に、今でも相変わらず暗記が大の苦手である)。

私は、間違いなくあの時、文系科目が出来ないので理系を選んだ。
それだけだった。

高校二年になると、成績は理系クラス中の順位で出るようになった。化学と物理、そして数学は、常に上位だった。
なるほど、と思った。理系科目が得意な生徒が大半であろう中でもこの順位ということは、どうやら本格的に自分は理系科目が得意らしい。
そこでようやく私は、自分がいわゆる『理系』だと納得したし、それを認めて、得意を超得意まで押し上げることに専念した。大好きだった古文や歴史は、本などを読むだけでも楽しむことができる、と諦めた。

そして大学進学の際、私はやはり、科学系に進んだ。
科学は大好きだし、幸運なことに、大学に入っても周りの友人や教授などに褒めて頂く機会もあった。
しかし、それを褒められる度、嬉しさと同時に、諦めることしかできなかった「好きなこと」を思い出した。
そして、そんな私の心は「リケジョなんだ、頭いいんだね」という言葉によってしおれた。

理系に進んだ女子はそんなに特殊なんだろうか

初めて言われたのは、大学二年生の時だったろうか。
恐らく趣味の音楽関係の大学外の男性に言われたのだとは思うが、あいにくショックのあまり記憶が曖昧ですらある。

「ア~、イヤ、そんなことないですよ」

と、なんだか、その男性が望んでいたような言葉を吐いてしまったのが今となってはムカつくが、当時の私はショックと悲しみと怒りを抑えるのに必死で、そんなことはどうでもよかった。

『女子』が『理系』であることってそんなに特殊なのか。私の友達や後輩はほとんど、あなたの言う『リケジョ』だ。そもそも、『理系』科目を突き詰めることに性差って必要なの?

自分が『文系』の道を諦めて『理系』にいるという悔しさみたいなものもあったとは思う。しかしその土台は、数年たった今、許せるようになった。それでも『リケジョ』と言われると反骨精神は未だ、芽生えてしまう。
もしかしたら、私がそんな風に思うのは、そのようなことを言う男性に対して「女性は自分の一歩後ろを歩くのが理想。相手女性の頭があまり良いと困ってしまうというタイプの人」と勝手にイメージを付けている所為かもしれない。
勿論それは「理系女子は頭がいい」と短絡に考えるのよりも、愚かなことであるとも理解しているし、大半のそのような言動が、本当に相手を褒めている言葉として出てくるモノだと、私は信じている。

「リケジョ」という言葉を素直に受け取れなくなってしまった

ただ、そのように善良な心をもってその言葉を伝えてくれる人が殆どであっても、一部の、あからさまに「女なのにそんな勉強しているなんて」という気持ちが透けて見える人たちの悪意は脳裏から離れない。
現に私は、「女の子はちょっとおバカなくらいがかわいいよ」等という、今となっては正気を疑うような言葉を受けたことがあるし、実の弟が「自分より彼女が頭が良いと正直困る」なんて言ってるのを聞いたことがある。

正直そんなことを言う人たちに対しては、ヘルマン・ヘッセの小説に登場する、かのエーミールのように「そうか、そうか、つまりきみはそんな奴なんだな」と思うし、世の中のそんな言葉で傷ついた子たちの耳元で囁いて回りたい。「そんな奴はこっちから願い下げだ!と思っていい」と。
そして私は実際、そんな人とは価値観が根本的に合わないので、基本的にここでサヨナラ、今後は良い距離感を取っていきましょう、と思ってしまう。
しかし、そういう人を気にしないつもりで生きていても、そんな悪意を知ってしまった私は『リケジョ』という言葉を素直に受け取ることはできなくなってしまった。

『リケジョ』という言葉は、最近では死語になっているのではないだろうか。しかし依然、思っていたよりも投げかけられる言葉の一つでもある。
ここ数年は、反骨精神故か、それとも慣れてきてしまったのかわからないが、「驚くほど暗記科目が苦手だったんですよ」と、いわゆる『これまでの私の真逆』の方々に怒られそうな回答をしている。

いつか、もっと誰も傷つけないような受け答えができるほど、自分がその分野に強いと自信を持つことができれば良い、と思う。