大学時代、4年間ずっと好きだった人がいた。
彼のことが好きだったのは、同じコミュニティで一緒に過ごす時間が多いことや、話していて面白いからといった、至って単純な理由からだと思っていた。
でも思えばそれ以上に、私は彼が表現する世界が好きだった。

四六時中、何かの創作に没頭。あわよくば彼の支えになりたいと思った

彼は美術系の学科に通い、表現者としての夢を追いかけ、四六時中何かの創作に没頭している人だった。
そしていつも生み出す苦しみと戦っていた。教授に厳しく批評されて悔しがったり、コンクールから落選したりして落ち込んだり。作品提出の締め切りに追われ、カフェインを大量に摂取しながら徹夜をしていたこともあった。

私はそんな彼を、知っている限りの知識と言葉を尽くして励ました。
彼におすすめされれば、分かりもしない専門的な本をたくさん読んだし、彼が行ったと言えば、すぐに遠くの展示会に足を運んだ。
別にこんなことしても付き合えるわけじゃない。好きだから、分かりたかった。そしてあわよくば彼の支えになりたいと思っていた。
そんな想いも虚しく、結局彼とはどうにもならないまま、4年間の大学生活はあっという間に終わりを迎えた。

新卒1年目の私に、創作活動をする時間と余裕なんてなかった

学生最後の夜、彼とお互いの進路の話をした。私は就活中唯一内定をもらえた、地元の一般企業に勤めることになっていた。
一方、彼は自分の夢を叶えるために、一浪して大学院に進む道を選んだという。当然のようにその決断ができるのが彼らしいなと思った。

実は私も幼い頃から表現することは好きで、大学時代も少しだけ創作活動をしていた。とは言っても、自分の表現で稼ぐために勉強している彼に比べると気力も時間もなく、ほとんどお遊びだった。
そんな私に彼は「社会人になっても創作続けるの?楽しみにしてるよ」と言った。
ただのお遊びでも認めてくれたような気がして、その一言だけでも嬉しかった。

けれど新卒1年目の私に、創作活動をする時間と余裕なんてなかった。
思っている以上に仕事は忙しく、いつのまにか仕事の愚痴をSNSに吐き出すだけの毎日になっていった。直属の上司とも馬が合わず、入社して6ヶ月も経つと会社のトイレで泣きだしたり、朝起き上がれなくなることが増えていった。

私は批評を恐れ、発信せず、ただ「私なんて」と言い訳していた

私、何がしたかったんだっけ。何でここにいるんだっけ。
生きる気力もなくなりそうな時、真っ先に彼の顔が浮かんだ。
ああ、あの人みたいになれたら良かったのにな。

何者にもなれない私は、彼が羨ましかった。表現者としてお金を稼いでいくと決め、夢に向かって邁進している彼を、ただ同一視していたんだな、と気づいた。
彼に対する気持ちはいつからか、恋なんて綺麗なものじゃなく、自分の欲をぶつけた浅ましい憧れになっていたのだ。

そういえばあの頃、彼が自主制作した本をお金を出して買ったことがあった。
お金を出す価値があると思ったし、別に大したことをしたとは思っていなかったが、「君は俺の表現にはじめてお金を出してくれた人だ」と、終始嬉しそうにしていたのを覚えている。

その時私は大げさだと笑ったけれど、今なら分かる。
自分の表現に対しお金を払ってもらうことがいかに大変なのか。そしてそれがどれだけ嬉しいことなのか。
彼はずっと前から、先のことが見えていたんだ。自分の表現で稼いでいく厳しさも、評価される技術を習得する意味も、ちゃんと分かった上で努力し、苦しんでいた。
私は自分の表現を批評されることを恐れ、発信することもせず、ただ「私なんて」と言い訳して挑戦することもなかった。そうしてやりたくもない仕事に就き、生きる意味を失い、ただ彼を羨んでいた。

現在、私は休日の時間を使って、少しずつではあるが創作活動を再開した。このような文章を書くこともその1つだ。
あの気持ちが恋ではなかったと気付いた今、私はなりたい自分と向き合っている。そしていつか誇れる自分になれたら、胸を張って彼に会いたい。