27歳、私には衝撃だった。

友達から勧められた恋愛リアリティー番組を観ていた時だった。「俺にとっての仕事は、生きていくためのお金を稼ぐ事なんだ」という言葉が衝撃だった。

自分が休んでいる時間に誰かが活躍するのが怖くて、ひたすら動いた

高校3年生で定めた夢。いつもクラスの中心に入れなかった私は、華やかな業界を目指す事にした。

大学に進学し、勉強・バイト・インターンと目まぐるしい生活だった。自分が休んでいる時間に誰かが活躍するのが怖くて、ひたすら動いた。

倍率が高い就職活動は、毎週末、6時間かけて東京へ通った。大学生最後の夏が終わり、やっと希望の会社に内定を頂いた。

4月1日。私と同期に配られた最新のノートパソコンとスマホ。通信機が浮いてラッキー! なんて思ったのもつかの間、忙しない毎日が始まった。

企画を考え、進行し、現場へ行き、深夜まで立ち会い……週に1日でも休日があれば良い方で、その休日もインプットのために朝から晩までフル活用。

友達との息抜きは、仕事を早く切り上げた平日の夜のみ。そんな時も容赦なくかかってくる電話。急ぎであれば、どこであってもパソコンを開いてメール。

一息つく暇もない毎日だったけれど、沢山の人とプロジェクトを作り上げ、世の中に送り届ける事が本当に楽しい日々だった。

友達から恋リア番組を勧められ、私は人の価値観に注目するようになった

キャリアアップの為に転職し、夢を追いかける日々は続いた。ある時、ずっと支えだった先輩が恋人になった。

けれども、時間が経つにつれて連絡が取れなくなっていった。私の何がいけなかったんだろう。

そう思っていた時、友達から某恋リア番組を勧められた。始めの頃は、気になった異性ができた時の話し方、接し方を参考に観ていたけれど、人の価値観に注目するようになった。冒頭の言葉は、バリキャリの人が定職に就いていない人に対して、自分の仕事の価値観を押し付けた時に返されたものだった。

何かをやり遂げるための人生であって、それが仕事じゃないのか? 心にひっかかったまま、変わらない日常を送っていた。そんな矢先、コロナがやってきた。

寝るためにあった家は、生活するための家に変わった。お菓子作りに挑戦してみたし、様々な本も読んだ。昼間の最寄り駅を歩いた時は、こんな所に奇麗な花があったんだと初めて気づいた。

緊急事態宣言の解除と共に、復活した仕事。予算が減って人員が確保出来ない事で、作業量が増えに増えた。平行して新たな企画を立て続けなければならない。十分な睡眠時間や休日が全く取れない。

そんな状況が半年間続いた。それだけならまだ耐えれた。経営不振に対するストレスを社長から浴びた。

辛い事を乗り越えた先は明るい未来。でも、乗り越えなかったら逃げ?

辛い事を乗り越えた先に、明るい未来が待っている。小さい頃に植え付けられた思想。反対に、乗り越えられなかったら逃げになると思っていた。

だとしたら、何故逃げてはいけないのか? 四六時中、仕事にとらわれていた私だったが、全プロジェクトが同じタイミングで落ち着いた。ストレスから腹痛が続いていた。

そこで、私は自分自身に疑問をぶつけた。今、幸せか?

幼い時からの承認欲求をきっかけに、走り続けてきた。常に周りの目を気にして、一番向き合っていなかったのは自分自身だった。

いつの間にか、自分の好きなことが自分の重しとなっていた。高い学費を払ってくれた家族、今までの人生で出会って応援してくれた方々のことが頭によぎったが、こう考えることにした。

私は挑戦したんだ! リセット。そして、新生活が始まった。