私が初出勤の時に初めて指導に当たってくれたのが竜生さんで、細く背の高い体に良くあった黒いエプロンが印象的だった。
バイト先の憧れの人と、同じ色のエプロンを着て働きたいと思った
私のバイト先は、普通の人は赤いエプロンで、バイトリーダーになると黒いエプロンになる。私は本当によくテンパる子で、ピークタイムになるとすぐにキャパオーバーになって、さらに1つミスがでるとなかなか立て直せなくなってさらにミスを重ねる。
そんな時に颯爽と黒いエプロンで現れて、何も言わず静かに、でも、ものすごいスピードで私のミスをフォローし、状況を立て直してくれるのが竜生さんだ。
さらに竜生さんのすごいところは、ピークタイム以外の一緒に働いている時も、私の動きを見ながら(私のミスをフォローしながら)、次の私の動きを先読みして準備ができるところ、休憩時間には新メニューの調理過程表をみてお客さんからのどんな質問にも答えられるように勉強して、バイトリーダーになっても新人の頃と変わらず勉強を続けているところ…挙げ出したらキリがないくらいだ。
口下手で性格的にもリーダーに向いてるとは言えないし、1番仕事ができるわけでもないが、その分リーダーにまで来るための努力の数は店1番で、そんなところがきっとみんなが納得して竜生さんに着いていきたいと思わせるのだと思った。
大学4年間の全てをかけても実力も努力の数も到底竜生さんには及ばないかもしれないが、竜生さんとと同じバイトリーダーのポジションになって同じ色のエプロンで働きたいと思うようになった。竜生さんと一緒に働けるなら何時間でも働けるようになり、一緒に働けなくても竜生さんに認めてもらえるように努力する時間になった。そして、気がつけば、授業が終わって電車に飛び乗りバイト先に直行し、ついに店で店長の次に1番長くシフトを引くくらいに、竜生さんにもバイトにものめり込んでいた。
憧れの人がバイト先を卒業。大きな目標を失う喪失感でいっぱいに
竜生さんを追えば追うほど、なぜ私は竜生さんのようになれないのか、どこまで行けば追いつけるのかと竜生さんの背中の大きさを実感した。
竜生さんの周りの人に竜生さんの強さの秘訣は何かと聞いたこともあったし、竜生さん本人に「どうすればあなたのようになれるのか」と聞いたこともある。そんな時不器用で口下手な竜生さんはすごく困った顔をしていた。
誰も強さの秘訣を教えてはくれなかった。私はとにかく働けば働くほど竜生さんの強さに迫れる気がしてまた働いた。
でも、学生の時間は永遠ではない。
私は竜生さんの卒業までに竜生さんと同じバイトリーダー試験の合格点数にはギリギリ届かなかった。悔しくて悔しくて涙にもならなかった。ただ間に合わなかったという大きな目標を失った喪失感でいっぱいだった。
竜生さんの最後の出勤の日も、みんなが「お疲れ様、卒業おめでとう」と声をかける中、私はずっと帰りたかった。どんな顔をしていいのかもわからなかった。漠然とこのままバイトを辞めてしまうのかなとも思っていた。
憧れの人から託されたバイトリーダーの黒いエプロン。今度は私の番だ
みんなが帰って私もその日の勤務を終え、更衣室に向かうと私宛に包みが置いてあった。竜生さんの使っていたバイトリーダーのエプロンだった。
「春から使ってください。一緒に働けて楽しかったです」
と決して綺麗とは言えない字で添えられていた。
竜生さんに憧れて3年、竜生さんのような人になりたいとずっと思っていた。竜生さんがいたから仕事が好きになった。
でも、それ以上に竜生さんがずっと大好きだった。
ピーク時も竜生さんの足音でどこにいるかわかる。どんなに賑やかな店内でも竜生さんの声はどんな音よりも最優先で捉えることができる。真っ直ぐに前を見て、しゃんと伸びた背筋は勇気をくれる。竜生さんの匂いは顔を上げなくても、たしかにそこにいて一緒に戦ってくれていることがわかる。力強く強く凛々しく、まっすぐな竜生さんのすべてにずっと憧れていた。初めて会った時から竜生さんが大好きでいつかこの人の力になりたいと思っていた。その両方の気持ちが私をここまで連れてきたんだ。
竜生さんの残してくれたエプロンに顔を埋めて竜生さんの匂いに包まれて、涙と気持ちが止まらなくなった。
そして春。私は竜生さんからもらった黒いエプロンをつけてホールに立つ。新人の赤いエプロンの子が必死にメモを見ながら、ピークタイムに備えている。かつて私も竜生さんにはこんな風に見えていたのだろうか。
もう竜生さんと働くことはないけれど、ピークタイムには竜生さんが一緒にいてくれるような気がする。今度は竜生さんからもらったこのエプロンにふさわしいリーダーになりたいと思った。