「先生、どうして三角関数のグラフなんて描くんですか?」
「だって、θの値に応じて別の値が変化してるようすを見たら、グラフにしたくなっちゃうじゃん。2つの値が対応しながら変化してるようす……」
高校1年生の初夏、ある授業後のこの会話を忘れない。
先生の数学愛に触れて、数学が面白く思えるようになった
私は中高一貫校に通っていて、中学3年生くらいから数学が極端に苦手だった。
公式が覚えられない。例題の解き方が身につかない。進度が速すぎて、いちど理解したと思ったことでも、自分で使えるようにならないうちに次に進んでしまって、あっという間に置いていかれてしまう。
そうしているうちに、自分でも投げやりな気持ちが生まれてきてしまっていたのだと思う。
「三角関数のグラフ」を習ったときも、普段めったに使わないθやらπやらをわざわざグラフにして、弧を描き続けることの意味がわからなかった。
こんなことが、何になるんだろう?
授業の後、先生に聞いてみた答えが冒頭の会話だ。
衝撃だった。
先生は、本当に、本当に数学が好きなんだな。
それから少し数学が面白く思えるようになった。私は先生の数学愛にふれるのが楽しくて、休み時間に、教員室まで質問をしに行くことが増えた。
先生は、いつ会いに行っても、熱心に数学の問題を解いていた。しかも、それは特に難しそうな本の問題ではなくて、私たちが授業で使っている教科書の問題。話しかけるのがためらわれるほど、集中して、それと向き合っていた。
数学にも、仕事にも、生徒にもまっすぐに向き合う先生が大好き
先生は、数学を教えてくれただけでなく、いろいろな相談にも乗ってくれた。
担任の先生だったので、面談では自分が興味を持っていること、将来やりたいことなどを話す。どんなときもまっすぐ目を見ながら、時たま、よくわからないタイミングでメモをとりながら、先生は話を聞いてくれた。
そして、これまで数えきれないほどの生徒を受け持っているはずなのに、ひとりひとりのことをよく覚えている。あなたと同じような悩みを持った人が何年か前にいて、こんな道を進んでいった、という話を良く聞かせてくれたし、私がいちど話した内容は、必ず忘れないでいてくれた。
数学にも、仕事にも、生徒にもまっすぐに向き合い、静かに心を照らしてくれる先生が、どんどん大好きになった。
学年が上がると、数学の授業は習熟度別になり、私は真ん中のコースに所属することになったが、先生は最上位のコース「ひまわり」を担当することになった。クラス替えがあって、担任の先生も変わってしまった。
先生がひまわりならば、それを見上げ精一杯伸びるたんぽぽになりたい
ダンス部の事務仕事で教員室に行くと、先生はたまに声をかけてくれた。
引退前最後の舞台も、観にきてくれた。
受験生になってからは、ほとんど毎日、数学の質問をしに行った。学校の門が閉まって周りが真っ暗になってしまうまで丁寧に答えてくれた。
センター試験で大失敗し、出願先を相談した時は、先生が私よりも泣きそうになりながら、一生懸命考えてくれた。
志望校に合格したことを伝えた時、誰よりも安心したふうで、「よかったぁぁぁ」と抱き締めてくれた。
どんなときも、あたたかく包み込んでくれる先生は、まさに、ひまわりのような存在だった。
自分の力でぎらぎらと光る太陽もまぶしくて素敵だけれど、光に向かって一生懸命、まっすぐ立ち、その姿が周りをあたたかくしてくれるひまわりの花。そんなひまわりのような先生が、私は大好きだ。
高校を卒業するとき、先生にこう伝えた。
「せめて、たんぽぽのような人になりたい」
ひまわりを見上げて、かたい地面にも、アスファルトにさえも負けず、精一杯にのびていくたんぽぽでありたい。
先生、ずっと見ていてくれるかな。