あの夏の挑戦。それは、高校3年生の夏のことだった。

私はある小説賞に応募した。大学受験を控えた大切な夏に、何をのんきに遊んでいるんだという叱責は、今は置いておいてほしい。

私は昔から文章を書くことが好きで、高校3年の夏に小説賞に応募した

私は文章を書くことが得意だった。昔から、小説投稿サイトに二次創作の小説をアップしては、大勢の読者からの評価を得ていた。殿堂入りした作品――そのサイトでは、評価数が100を超え、かつ平均点が10点満点中9.5点以上だと「殿堂入り作品」と呼ばれた――2桁を超えていた。

読者はみな、私のことを「神作者」と呼んだ。だから、私には文才があるんだと思っていた。他のみんなには無い才能が。

その小説賞は、高校1年生から3年生の学生だけが応募できるというものだった。つまり、図らずも最初で最後の挑戦となったわけだ。私は20,000字弱の物語を書き、投稿した。

そういえば、“夏”をテーマに書いた小説だった。いつだって、少年少女と夏の親和性は高いものだ。制服に、生ぬるい風。アスファルトの焼ける匂い。

完璧に納得のいった作品ではなかった。というのも、応募を決めたとき、すでに締め切りは2週間後に迫っていたので、あまり時間をかけられなかったのだ。そんなギリギリでも、応募しようと決意した決め手は、その最終選考委員にあった。なんと私の大好きな作家が、最終選考を行うらしい。名を朝霧カフカという。

彼の文章は、丁寧で、繊細で、残酷で美しい。いつか彼のような文章が書けたらと、朝霧先生の御本を読みながら何度も思った。そんな先生に、ただのいち学生の書いた物語を読んでもらうチャンスがあるというではないか! 流し読みでもいい、酷評されてもいい。私はどうしても、私の物語を朝霧先生に読んでもらいたかった。そして、あわよくば、『水無瀬いと』という、素敵な小説を書く高校生がいると認知してもらいたかった。

私は「神作者」と称えられた存在なのに、一次選考すら通らなかった

しかし、現実はそう甘くない。私は一次選考すら通らなかった。つまり、私の作品が朝霧先生に読まれることはなかった。

納得いかなかった。一次選考を通った作品を読んだが、どれもそれほど大したことはないと思った。正直に言うと、面白くなかった。むしろ私の作品のほうが優れているだろうと、本気で思った。私はかつて「神作者」と称えられた存在だ。それが、同年代だけの小説賞で最終選考に残ることすらできないなんて!

Twitterでエゴサーチをした。「私の作品が良かった」「一次選考は通るだろう」と言ってくれている人もちらほらいた。そのなかの一人との出会いが、私の“小説”に対する向き合い方を変える大きなきっかけとなった。

Twitterの名前から一文字拝借して、仮にKとでもしておこう。かの有名な夏目漱石氏の小説とは関係がない。Kのツイートは、かなり厳しい口調だった。私なんかは「文章力はあるけれど、プロットが弱い。あとタイトルがダサい」と言われていた。そんなのって、一番残念な作品じゃないか! かっこつけた文章をつらつら並べただけの、内容のない小説。

反論できなかった。図星だったからだ。確かに、締め切りに間に合わせるために無理やり捻りだした、薄っぺらいプロットだった。「文章力がある」は「プロットがつまらない」をカバーできるほどの力はない。タイトルも確かにダサかった。何を思ったか、五・七・五の俳句風のタイトルにしていた。うん、ダサい。

「実体験と読書量のどちらも不十分」とも言われていた。私は小学生の頃から、「好きな科目は?」と聞かれると「図書」と答えていたほどの読書家だったので、これに関しては少し不満だった。

しかし、私の好きなジャンルはミステリー。投稿した小説は、青春小説。普段読まないジャンルの物語を書いたのだから、何もかも不十分と言われても仕方がない。Kの指摘は、私も知らない私を暴くような、的確で明瞭なものだった。

何を偉そうに、なんて腹立たしい気持ちは微塵も湧いて出てこなかった。むしろ感動した。心臓がドキドキして、嬉しかった。「神作者」に口出しをする読者は、今まではいなかったから。まっすぐ私の小説と向き合ってくれる人がいるということが、嬉しかったのだ。こうして、私は「神作者」の名を引退した。

自分には文才がある思っていたが、私より上手な人は星の数ほどいる…

私は文章を書くことが得意だと思っていた。まさに、“井の中の蛙大海を知らず”だった。国語辞典の例文のところに、このエッセイを載せてほしいくらいだ。

私より年下で、私より上手な文章を書く人なんて星の数ほどいる。私の唯一の取り柄だった文章力だって、そんな人たちと並べられると途端に霞んでしまう。私は「神作者」ではなかった。どこにでもいる、ちょっと本が好きなだけの女子高生だった。

私の夏は終わった。もうあの小説賞に応募することはできない。朝霧カフカに作品を読んでもらう機会も、おそらく、もう、ない。

私には文才なんてなかった。だから、場数を踏むことしかできない。地道にコツコツと、書くことをやめなければ、いつかは私の作品が日の目を見ることもあるかもしれない。この目で見える世界のすべてを吸収して、私の物語に落とし込んでやる。

KはTwitterのアカウントを消した。今どこで何をしているかは知らない。けれどいつか必ず、Kに「水無瀬いとも、いい小説を書くようになったな」と思わせたい。その第一歩として、とりあえず、私は五・七・五のタイトルをつけるのをやめた。