お互いの顔も本名も知らない、インターネット上でしか交流したことしかない人間同士で物語を創作することができると思う?
正解は、できる。

いびつかもしれないが、これが私と彼女が決めた、2人の創作の形

私と彼女が3年前から一緒にやっている、とびっきりの『ふつう』じゃないことだ。
ネタバラシをしよう。
私と彼女は、小説投稿サイトとTwitterの2つを通じて創作を行っている。
彼女が物語のあらすじを作り、Twitterのダイレクトメッセージで私にあらすじを伝える。その内容を踏まえて私が物語の内容をふくらませ、「小説」の形にし、小説投稿サイトに投稿する。
原案は彼女。作者は私。
いびつかもしれないが、これが私と彼女が決めた、2人の創作の形だ。

二人三脚で進むきっかけになったのは、彼女の『ふつう』じゃない言葉である。
「誰かこの物語のシナリオをもらってくれませんか」
そう。
私と彼女が共作している物語は、そもそも2人で書くために作られた物語ではなかった。
彼女がひとりで書いていた物語が私たちの物語の原型なのだ。
世の中の『ふつう』からすれば、魅力がない物語かもしれない。それでも、私を書く側の世界に引き込む引力を持つ物語を、彼女は描いていた。

彼女の物語には宝石箱のような魅力が。そこに、事実上の打ち切り宣言

6年前、私が誰かと二人で物語を書くなんて想像してもいなかったころ。
私は偶然、彼女の物語を見つけた。
それはゲームの登場人物を題材にした、いわゆる「二次創作」というものだった。
ゲームに登場する少女のキャラクターが、少女であることを周りから求められる中、自分らしく生きる事を求めてがむしゃらに努力し、理解者を得て願いを叶える、世界の残酷さと美しさと希望を詰め込んだ宝石箱のように、彼女の物語は私の目には魅力的に映った。
私が彼女を見つけた時にはゲームのキャラクターをもとに創作を行っていた彼女は、4年前にオリジナルの創作を始めた。
彼女が見せてくれる彼女だけの世界! と私がわくわくするのとは裏腹に、その物語は途中で終わってしまいそうな気配を漂わせるようになった。
彼女のTwitterは、創作について熱く語るというより、仕事や体調などのやむを得ない事情で物語を書き続ける事が難しくなった、という弱音の山に。
そして。
「誰かこの物語のシナリオをもらってくれませんか」
事実上の打ち切り宣言だ。
私は目の前が真っ暗になった。
私は彼女の物語が、彼女が見せてくれる世界が好きだ。世界に物語で立ち向かうような、絶叫にも似た、彼女の文章が好きだ。

誰も名乗りでなかったら、インターネットの海の藻屑として消えていく

でも、彼女の物語は、かなり攻めた題材を扱っている。ベストセラーになるような、誰もが喜んで読めるような物語ではない。
ここで誰も名乗りでなかったら、彼女の物語は完結することなくインターネットの海の藻屑として消えていくだけだ。
私には、それがわかってしまった。
物語は、読むだけのもの。それが『ふつう』だ。
小論文は得意じゃない。夏休みの宿題の創作コンテストに応募しても、何の成果も得られない。そんな『ふつう』が私だった。
でも、『ふつう』じゃないからって、読みたい物語をあきらめてもいいの?
「私でよかったら書きますよ」
気づけば私は、彼女のツイートにそう返信していた。

3年前の私が知ったら、ひっくり返って私に驚くと思う

それから3年。
私と彼女はまだ、直接会っていない。けれど、私と彼女2人の物語は、無事フィナーレに向かっている。
3年間、いろいろなことがあった。
私の悩みを彼女に聞いてもらったこともあれば、彼女の悩みを私が聞いたこともある。
彼女のあらすじに従っているだけでは物足りなくなって、私ひとりで物語を書き上げて投稿するようにもなった。
彼女との経験をもとにしたエッセイを3年後の自分が書いている、なんて聞いたら、過去の私はひっくり返って『ふつう』じゃない私に驚くと思う。
もっと言うと、私と彼女が3年経っても本名も住所も知らないままの、インターネット上で一緒に創作しているだけの女2人、以外に私たちの関係性を客観的に説明する名前を付けられないことにも、過去の私はぼう然としそうだ。
『ふつう』じゃないことも、昔では考えられなかったことをする機会も、世界にはあふれている。
そう教えてくれた彼女に、心からの感謝を。ほんとうにありがとう!