最初にエッセイを書いた時は久しぶりに緊張した。大学受験のAO入試で行われた面接試験以来だ。

書いている時は、不思議なくらい集中してしまう。楽しいと思って書いているわけでもなく、頭の中で考えてフル回転させているのが楽しいから、きっとアドレナリンが莫大な量を放出しているのだと思う。

中1の時から「夢小説」を書き始めて、休み時間もずっと書いていた

中学1年の時に書き始めた夢小説が、大きなターニングポイントかもしれない。確かに幼稚園の時から絵を描くのは好きだったけれど、どちらかというと女の子をいたらその子に名前を付けて、プロフィールを書くのが好きだった。そうすると、そのキャラクターに喋らせたいという衝動に駆られた。

中学1年の時には、それが実現する形で知らず知らずのうちにノート5冊分書いていた。読書は得意じゃなくても、創作するのは好きで休み時間はずっと書いていた。担任の先生には余計な心配をされて、友達と話さないといけないルールを違反しているとか言われて、邪魔をされた。それでも止められなかった「書く」こと。

大学では専門的に学べる学部に進学して、社会人になっても何か思いつくとメモをする習慣がついている。好きな俳優をモデルにして、キャラクター構成をすることも増えた。

私はエッセイに限らず、「書く」ことを始めたら、その作品にも自分の気持ちにも嘘を吐かないと決めている。好きな作家が太宰治だとしても、嘘は書いていない。彼の作品に憧れているからこそ、その気持ちはエッセイではなく文芸創作で活かしたい。エッセイに書いた実体験は忘れられなくて、異議を唱えたエピソードに過ぎない。

どのテーマを取っても話題にしていることだと気付かされたのがエッセイ

年齢を重ねていくごとに好みが変わるのと同様に、価値観や考え方に加えて捉え方も変化する。その変化は、ひと皮もふた皮も更新されていく「自分らしさ」だと私は思う。

自分らしさは時として、牙を向いてしまうこともあるし、決して全てが全て正当化できるものではないかもしれない。それでも、生きている環境の中で適応させたり、順応させていったりするには、更新されていく自分らしさも受け入れなれば進めない気がしてならない。

恋愛の進み方、ふるさとへの思い、戻らず躊躇わない気持ち。どれを取っても誰かと必ず話題にしていることだと気付かされたのがエッセイだった。

連日報じられるコロナウイルスの新規感染者が増える一方で、オリンピックが催される。嬉し涙も悔し涙も、名場面ではあるけれど、1番は選手への誹謗中傷が目に付いた。選手の中には、3年後もパリオリンピックへ向けて突き進みたい気持ちもある中で、引退表明を決断した選手が数名いた。

その選手たちは「若い世代に次を託したい」「悔しいけれど、今までの冒険は楽しかった」と口を揃えてコメントしている。選手陣から「戻らない、ためらわない」気持ちが画面越しに伝わってきて、視聴者の私も胸が熱くなった。

エッセイを書く度に自分らしさが更新され、楽しさを感じるようになった

エッセイを書き始めたら、たくさんの人の目に触れるという勇気がいる。テーマごとにどこまで言葉に表現していいか、境界線が難しかった。難しくて、いきなり書くのをやめた。

まずは、エピソードを整理するためにメモをする。キーワードまで決められるのが望ましい。タイトルはどこを中心に読んで欲しいのかを考えていたが、他の人のエッセイを鑑みて、搾取するべきところを思い切って変えてみた。自分が読者として掲載文を見た時、どんな印象を持つか。書いた人の経験談をどう受け止めるかを考えることが増えた。エッセイを書く度に自分らしさが更新されて、楽しさを見い出せる余裕が出来た。

初めて見つけた。私のライフワーク。「書く」ことが生き甲斐だと思いながら生きてきて良かった。

エッセイを書いたあとは、書ききったという達成感とドキドキ感が入り交じった感情が必ず生まれる。掲載されるとわかると、緊張感も加わって自分のエッセイを読んでから夢じゃないと実感する。このサイクルが痺れるくらい、楽しくて刺激的なのだ。

一度でいい。一度でいいから、いつか気になるエッセイを1つ挙げて誰かと意見交換する機会を設けてみたい。何か共通点があれば、話が広がって影響を受け合う。また、真逆な価値観を持っている同士が集まると、刺激を受け合いながら語り合う時間が生まれて、自分らしさをお互いに更新し続けられるのではないかと思っている。