2020年10月某日。それは起きた。
20時すぎの親友宅。私達はいつものように動画サイトを徘徊していた。
そう──これはいつものことのはずだった。
お互いが昔好きだった音楽やアニメ(最近は公式さんがクリアな画質で様々な作品を見せてくれる。ありがたい)、そんなものたちをただひたすらに垂れ流し、あーでもないこーでもないと思い出を語る。
時に幼少期のアニメを懐かしがったり、時に社会派のドラマでの概念を擦り合わせる。
いつもいつも楽しく、いつもいつも盛り上がる。
常識を知る大人として、動画サイトを見て遊んでいた
しかし、私達も世間的には大人に分類される。
成人もとっくに過ぎ、社会人としてもそれなりに過ごしてきた。限度、というものはわきまえている。
平日で次の日仕事ともなれば、お互いが「じゃあ、もうそろそろ……」なんて口を開き、腰をあげる。
ハタチそこそこの若者じゃないんだ。あと何年かでミソジ。
よくいう「常識をわきまえて」私達は遊んでいた。
はずだったのに。
その日は学生時代にハマっていた恋愛ゲームのプロモーションムービーを見ていた。
今までにも何度か思い返して見ていたが、昔好きだった声優さんたちや、絵柄の好み、シナリオなどについて好き勝手に話していた。
恋愛ゲームとは、いわゆる主人公とそれを取り巻くキャラクターたちの恋愛模様が展開していくもので、楽しみ方は様々。
私と親友は共通して、見守りスタイル(主人公と相手キャラクターの恋を陰ながら応援するスタイル)を貫いていた。
私は学生時代から社会人2、3年目までオタクまっしぐらだったが、色々な環境の変化からエセパリピ(エセ)に進化。
そして現在、やる気とお金がログアウトしたしがないアラサーと化したのだが。
それもあってか、次元違いのものに対して興味はあまり持たなくなり、「懐かしいなー、ははは」と笑う余裕を見せ、ネタを増やしていく程度のジャンルになっていた。
それが“推し”だと気づくまでに全く時間はかからなかった
そして、時は満ちた。
冒頭にあるように、いつも通りに動画を自動再生した、その時──。
彼らの声が、頭に響いた。
どういうことだろうか。
おそらく、いや確認は取っていないがおそらく親友もそうだったと思う。
彼らが声を発したその瞬間、周りの音は静寂となり、聞こえるのは甘く切なく発する一行ほどのセリフのみ。だったはずだ。
私達の時は止まり、合わせて脳内も止まる。
気づいた時には次に進もうとしていたので、慌てて二人で再び同じ動画の再生をする。
それでも理解は追いつかない。
今まで見聞きしていたはずなのだ。
そんなはずはない、多種多様の物を好んできた私達が一番通らないであろうと思っていたそのゲーム。
そのゲームの、とあるキャラクター達に。拒絶する暇もなく転げ落ちた。
それはそれはもう見事であった。
時刻はすでに日付を跨ごうとしている。お互い次の日も朝早くから仕事。
でもこの気持ちを確かめずにはいられない。
違うバージョンのものを何度も見聞きし、やはり同じキャラクター達が出たところで心を奪われる。
そんなことを繰り返し、やっと気持ちに小さな形がついてきたのを認識したのが早朝4時。
「常識をわきまえて」とは。
──それが“推し”だと気づくまでに全く時間はかからなかった。
なにか、なにか行動しなくては──ギブアンドテイク
そのキャラクター達は血の繋がっていない四兄弟、私はその中の次男に強く引かれた。
四兄弟は幼少期にそれぞれ酷い仕打ちを受け心を閉ざしていた。そんな中、似た境遇にいた4人で集まるようになり、なんとか生き延び今に至る。
というような話だった。
次男はくるくると表情を変え、けらけら笑い、かと思えば気分屋で他人の考えを見透かしうまく、そして時に残酷に立ち回るといったキャラクター。
彼は言う。
「世の中ギブアンドテイクだよ」
私はハッとした。
ただ与えられるばかりで、それが当たり前だと思ってる。いつからだ。
私は与える側……作品を創るのが大好きだった。
創作も好きだし、演技も好き。観るより、演じる方が。
いつからだろう、「どうせ意味がない」と切り捨てて、挑戦もせず惰性で世の中が安定と呼ぶ生き方へ流れていったのは。
もともと好きだった声優さんが演じている、というのもあった。
舞台設定も現実にはあり得ない、私はすでに成人しているが作品のキャラクターは皆高校生。
それでも、今まで数多くの作品に触れ、好きになってきたものとは違う感情が止めどなく溢れた。
なにか、なにか行動しなくては。
──ギブアンドテイク。
ありがとう、推し。
諦めてはいけないね。
私も貰って返せる人間にならなくちゃ。
親友も、私と同じように作品造りのためになることを始めた
そうしてからは早かった。
まず文章を書き始めて短編を何本か書いた。数年ぶりに書いた文章はたどたどしく、それでいて昔の癖が抜けない。それでも書き上げたことがほぼなかった自分にはとてもいいエンジンになった。
次に彼らに命を吹き込んだ敬愛する声優さんたちの勉強。興味がなくなったふりをしていた自分に鞭を打ち、やれることから始めるためにボイススクールを申し込んだ。
元々やりたかったこと、やらずに与えられるがまま評価して、生産性のないやりとり。
それじゃいけないと、行動してから物を言えと、彼らに出会ってから怒られたような気がした。
一方、私と似た感性を持つ親友も、私と同じように作品造りのためになることを始めた。
打ち合わせもせず、似たようなことを始めたので事後報告会をして驚き、笑いが溢れた。
そう……私達は「やればできる」「できるはず」「自分は大丈夫」だと過信して、ただ貰うだけに慣れてその海に漂っていただけ。
本当は、なにも始まってすらいなかった。
それに気づかせてくれたのが、彼ら。
数年前のゲームのキャラクター達で。
大人になってからではなかなか味わえない、諦めないことの大切さも叩き込まれた。
道は一つじゃない、あの青空を見るために。
こんなこと、人に言ったら笑われそうだけど。
オタクも、そう悪くないでしょ。