私は、大学で絶対にバンドをやると決意していた。中学の頃、友達に誘われてやったバンドは、正直不完全燃焼だった。理由はたくさんあるけれど、本題ではないので割愛する。
高校には軽音楽部がなく、楽器ができる人材を探し集める人脈もなかった。演奏ではなく歌を歌いたかった私にとって、同志を探す最後のチャンスが大学だった。

大学で入った「軽音楽同好会」。そこには憧れの先輩たちがいた

入学した大学には、軽音楽サークルが五つほど存在していた。それぞれビジュアル系バンド色が強かったり、ヘビーメタルバンド色が強かったり、とにかく個性の強いサークルばかりだった。
その中で私が入会したサークルは、王道で正統派な「軽音楽同好会」。そこを選んだ決め手は、二つ上の先輩たちで結成された「the polarizer」というバンドだった。
サークルの会長を擁するバンドにして、オリジナル曲をいくつも持ち、ライブではいつもトリを飾る実力派のバンドだ。そのバンドに、ヴォーカルの先輩に、私は憧れた。自分もいつか、その場所に立ちたいと思った。

入会して4ヶ月後。夏の合宿で、臨時バンドを組むことになった。夏休み前に学年を無視したくじ引きをし、約1ヶ月後の合宿で披露するというものだ。
そこで私は、入会からずっと親しくしていた一つ上のベーシストの先輩、CD音源のように音作りが最強な一つ上のギタリストの先輩、そして「the polarizer」のドラマーの先輩とバンドを組むことになった。その時は合宿のための、一度きりのバンドという認識だった。

一緒にバンドを組む先輩たちに恥じないよう、私も全力で応えたかった

ある日のスタジオ練習のこと。私は早めに現地に到着し、外で先輩たちを待っていた。予約した時間になるのを待って先輩二人と中へ入ると、ドラマーの先輩が一人、予定の1時間前から個人練習をしていた。私にはそれがとても衝撃だった。
確かに、自宅にドラムの練習環境を整えるのは難しいだろう。けれど、この一度きりのバンドのために、時間とお金と情熱を割いて向き合ってくれていると思うと、感激と気合でいっぱいになった。

私は最年少だけど、バンドの顔でもある。後ろでは、心強い先輩たちが支えてくれる。その演奏には、安定感と絶対の信頼があった。それに恥じないよう、全力で応えたいと思った。
私は、ひたすらカラオケボックスで缶詰になっていた。演奏予定の曲だけを、何時間も延々歌いこんだ。自分のものにできるまで、ずっと。

ライブは緊張したけれど、信頼する先輩の演奏で歌えて楽しかった

そして、迎えた合宿当日。他の「the polarizer」のメンバーもそれぞれくじ引きで決まったバンドで参加していた。一番憧れていたヴォーカルの先輩も、勿論いた。
この合宿ではライブの終了後、各パート毎とバンド単位で投票を行い、各部門の1位が発表される。言い換えるなら、憧れの人を味方につけつつ、憧れの人たちと張り合うわけである。
ライブ本番は緊張もしたけれど、何より楽しかった。絶対に信頼できる先輩たちの演奏に乗せて、全力で歌声を出し切るのが最高に楽しかった。

最後の投票結果発表。私はヴォーカル部門での1位を貰い、バンドとしても1位を貰った。完成度がとても高かったと、いろんな人に言ってもらえた。
憧れの先輩を差し置いて自分が……? という気持ちもあったけれど、一緒に組んでくれた先輩たちの情熱や楽しさにきちんと応えられた結果だと思うと、とても嬉しくて誇らしかった。

その後、もう一度だけこの臨時バンドは復活した。新曲を引っ下げつつ、歌いこんだ勝負曲では盛り上げて。二度目の演奏もやっぱりとても楽しくて、「またやりたいですね」と互いに言い合った。
結局、このバンドはそれっきりになり、「the polarizer」は先輩たちの卒業と同時に解散した。けれど、コンピレーションアルバムに残っている「the polarizer」の曲は、今でも私のお気に入りだ。

先輩たちは今、何処でどう過ごしているだろうか。私はまだ、先輩たちが大好きで憧れた私のままなのだけど。