今まで生きてきて、渡せなかった手紙は一通だけ。

高校2年生の冬、祖母が亡くなった。
その日は、いつも通り遅刻しそうになりながら、慌てて自転車に乗って高校へ行き、「いつも遅刻ギリギリじゃん」と友人たちに笑われながら席に座った。
授業の始まる数分前、担任の先生が教室に入ってきて私の名前を呼んだ。「あなたのお母さんから連絡があって、先ほど、おばあさまが亡くなったそうよ」
先生に「気をつけて帰るのよ」と言われ、実感もないまま家へ帰った。

祖母とはよく文通をする仲だった。
祖母からの手紙はいつも「お元気ですか?」から始まり「では体に気をつけて」で終わる。一方「私は元気だよ、ばあちゃんは元気?」で始まる手紙を私は送っていた。
祖母が亡くなる半年ほど前にも「今度修学旅行に行くと聞きました。楽しんでね。」と手紙が来ていて、修学旅行から帰ってきたら手紙と写真を送ろうと思っていた。

「かわいいあなたからの手紙が楽しみ」祖母の笑顔が脳裏によぎる

私の住む街から祖母の家までは車で高速に乗って3時間。道中暖かい日差しとは裏腹に車の中は凍りついたような空気が流れていたのを覚えている。
かつて食事を共にしていた和室で祖母は眠っていた。忙しなく動く喪主である父と、祖母の近くに座る母。私はどんな顔でどんな気持ちで、祖母の顔を見たのか正直覚えていない。

祖父が早くに亡くなり、祖母はずっと一人で暮らしていた。学校の長期休みに訪れるたびに、私からの手紙が入った箱を大事そうに撫でながら、「かわいいあなたからの手紙がいつも楽しみ」と言ってくれる祖母が、私は好きだった。

告別式は身内のみで行われ、親戚中が涙を流す中、私だけは涙が出なかった。
頭がずっとぼーっとしていて、隣でしゃくりを上げながら泣く兄にハンカチを渡した気がする。その後祖母は姿を変え、残ったのは小さな骨だけだった。

祖母のいない明日がきた。ひとりになって、やっと涙があふれた

次の日、どうしても受けたい試験が行われるからと、家族より一足先に新幹線に乗った。
途端にボロボロ涙が出てきて、新幹線を降りるまで泣き続けた。
何もなかったかのように明日は訪れ、祖母がいないことが普通になっていく。そんな未来が寂しくて仕方なかった。

「私は元気だよ、ばあちゃんは元気?」から始まる修学旅行の思い出を綴った手紙と、現像したたくさんの写真を送れなかったことをひどく後悔した。そして、後回しにして送らなかった自分を恨んだ。切手を買いに行く数分の作業を怠ったせいで、一生取り返しのつかない後悔を背負うことになった。

手紙はひきだしの中、後悔と祖母との思い出は私の胸の中に

告別式から少しして、父と二人きりで話す機会があった。
「どう、思った?」と静かに父は言った。何がと言わなくても祖母の死についてだとわかった。「あっけないな、と思ったよ」と答えた私に「良い感想だね」と小さく笑った父。
手紙を出さなくて後悔していることを言ってはいけない気がした。
祖母に似て優しい父はきっと慰めてくれるから、静かに私の胸だけに刻んでおくのが良いと思った。

もうアレから10年近く経つ。
渡せずにいる手紙は、まだ封をしたまま実家の引き出しにしまってある。
もう宛先には別の人が住んでいて届くはずのない手紙だけど、捨てられないのは祖母を忘れないため。祖母からの手紙を待つあの気持ちを忘れないため。

私は元気だよ、ばあちゃんは元気?