出せなかった手紙、書こうと思った時にはもう手遅れで....…。
私は幼い頃、生粋のおじいちゃん子でした。
おじいちゃんは嫌な顔せず、毎日のように公園へ連れて行ってくれたり、駄菓子屋さんでお菓子を買ってくれたり。家でもたわいのないことで笑い合ったり一緒にご飯食べたり、すごく楽しい日々を過ごしていました。
曽祖父と会う機会がどんどん減り、手紙を書こうと思った時には遅かった
ですが、そんな日々はずっとは続きませんでした。家庭内の事情で私は両親と共に引っ越しをすることになったのです。
引越し当初は月に一度のペースくらいで訪れていたのですが、時が流れて私が中学生なり、部活動が始まったためおじいちゃんに会いに行く機会も減っていきました。そして高校生になった頃にはさらに減ってしまっていたのです。
だから手紙でも書こうかなと思ったこともありました。でも実際思った頃にはもう遅かったのです。
そんなある日、おじいちゃんが体調を崩して入院することになったのです。たまたま入院先が学校から近かったので、私は部活の前に病院を訪れました。
ベッドに横たわりおじいちゃんは寝ていました。だいぶ痩せ細っていて、私はおじいちゃんのベッドの横で気がついたら涙を流していました。
「ありがとう」と言いたかったのに、見ていることしかできなかった
しばらくたち、退院した知らせを聞き安心したのですが、そんな日々もまた長くは続きませんでした。
もうあまり長くはないよという知らせが届きました。
その時、父が教えてくれたのです。
引っ越す当日におじいちゃんが父に対して、
「あるやも連れて行ってしまうのか?」
と言ったそうです。その時のおじいちゃんはとても悲しそうだったと。
私はその話の後におじいちゃんの新しい入院先へ足を運びました。たくさん言いたいことがあるはずなのに、私は何も声をかけてあげることができませんでした。
病室でまだ微かに息のあるおじいちゃん、見ていることしかできなかった。ただ怖かったことを覚えています。当たり前が当たり前じゃなくなる瞬間が……。
本当はこの時、「ありがとう」と言いたかった、伝えたかった。
今もこの胸にある想いをどうしてあの時伝えてあげられなかったのかなって、何度も何度も考えてしまっていたこともありました。
簡単な言葉なのに口にできなかった。
人生は永遠ではないから、気持ちを伝えようか迷ったら伝えてほしい
お葬式の日、弔辞を父と行いました。
この時手紙を書いて、そして読みました。
直接渡すことは叶いませんでしたが、心のどこかでおじいちゃんが見ていてくれてないかなと思っていました。
私は涙を堪えきれず、震える声で読んだのをよく覚えています。本当は笑顔で伝えたかったのですがね。
きっと誰しもが「もしあの時……」って思うことありますよね?
私の場合は、もう伝えたい相手がこの世にはいません。なので伝えたり、手紙を渡すことは叶いません。
でも、もし今伝えようか迷っている人がいるのなら、伝えたほうがいいと私は思います!
私のように後悔を残して欲しくないです。
人生は永遠ではないです。
だからこそ、その一瞬を大切にしてください。