就活に才能は必要だろうか?
私自身が就活を経験して出した答えとしては「必要である」だ。

自分に正面から向き合える強さ、求められた形に合わせつつもオリジナリティのある文章を書く力、自分の性格や思考を過去の経験を用いて伝える表現力。
こういった力を持っているというのは、就活に必要な才能があるということだと思う。
こう答えるようになったきっかけは、私自身が就活で失敗したからだ。

面接にすら進めない。数撃ちゃ当たるものでもなかった

エントリーシートを出せばもれなく面接をしてくれる企業以外、一カ所も面接に進めなかった。大学のキャリアセンターで見てもらってから提出したエントリーシートすら、だ。

数は多く撃った方だと思うが、数撃ちゃ当たるものでもなかったようである。
数少ない面接をしてくれた企業でも、次の選考に進めたところはなかった。
面接に関しては数すら撃てなかったのだから、正解の答え方が分からないままだった。

後々思い当たった原因の一つは、結論ファーストや、出来事ではなく考えを書くといった、いわゆる“エントリーシートの書き方”に合わせて文章を書くことが心底嫌だったことだ。

大学在学中、レポートの多い学科に所属していたり、フリーペーパーを制作する部活動に所属していたりして、文章を書くこと自体は慣れていたし好きだった。
だから、自分の言いたいことは自分の言葉で書けたのだが、その言いたいことを就活で好まれる形に変え、自分の言葉をエントリーシートの書き方に当てはめる、ということが出来なかったのだ。

私にとっては、自分のアイデンティティをなくすようなもので、苦痛で仕方なかった。自分の言葉で文章を書きたくなってしまうことは、エントリーシート、ひいては就活には壊滅的に向いてない。

就活が壊滅的に出来ないけれど、人として壊滅的とは思わない

ただ、私は就活が壊滅的に出来なかったからと言って、自分が人としてまで壊滅的だとは思わないでいることが出来た。
それは、就活の時期より前から、複数の友人が私に良いところを伝えてくれることが度々あったからだった。

高校の時の友人は「友達が多い」と言ってくれた。大学の学科の同期達は「話しやすい」と言ってくれた。部活の同期は「相手のことを思いやれる」と言ってくれた。
心が折れそうな時、私の身を守ってくれる言葉があった。だから、私には就活に必要な才能がなかっただけで、人として問題があるわけではない、と思い続けることが出来た。

就活の才能がなくて失敗した。けれど、何の才能もないはずがない

就活で失敗したのは才能がなかったからだと思うようになって、自分の「良いところ」イコール「才能」だと思うようになった。「才能」と言うと、「人々と比べてずば抜けて何かが出来ること」だと定義している人も多いと思うけど、そこまで「才能」のハードルを上げなくてもいいんじゃないだろうか。

たとえ同じような力を持っている人がこの世にいるとしても、 「万人が出来るわけではないことが出来る」なら、それだけで「才能」と言えるんじゃないか、と思う。そう定義すると、皆必ず何か一つ以上は「才能」を持っていることになる。

身の回りを整理整頓出来ることも、日常の中で小さな幸せを見つけられることも、人に対して臆せず自分の意見を伝えられることも、人の前ではいつも笑顔でいられることも、自分の好きを追求できることも、全部「才能」だ。

だから、もし私と同じように就活で失敗した人がこれを読んでくれているなら、どうか自分に絶望しないでほしい。就活の才能はなかったかもしれないけど、何の才能もないはずがない。

何も持っていないなんて、何も出来ないなんて、思わないでいてほしい。