2021年10月1日。Twitterのタイムラインは内定式関係のツイートで埋まっていた。
社会人になることが確約され、未来の希望に満ち溢れたあのツイートたちは、私を現実に引き戻させた。
大学院2年生の私は、本来であれば22卒で社会人になる予定だったが、後期から休学を決めた。
きっかけは就活だった。
本当の自分と乖離した自分を表現し、大手企業の2次面接へ進めた
エントリーシート、面接対策、やればやるほど感じるのは、「企業に私は必要とされてない人間」だということだった。
みんなそれなりに就職できているんだから、私も就職できると思っていた。
エントリーシートで聞かれる質問には、採用担当に心証良いように書かなければならない。
「あなたの人生で苦しかったことはなんですか?また、それをどのように乗り越えましたか?」という質問。
なぜ顔も見たことのない人にこんなことを答えなければならないのだ、と思っていた。でもそんなことは書けるはずがない。本音を飲み込んで企業にウケるように丁寧にエントリーシートを書いていた。
Twitterのいいね欄は気づけば就活関係のものばかりだった。
胡散臭くて、ウザったかった。
でも飲み込んだ。
だんだん焦って、エントリーシートには思ってもないことを書くようになっていた。
本当の自分とは乖離した自分を表現することでだんだんコツを掴み、面接もある程度進むようになった。
とある大手企業の2次面接まで進んだ。
ここで内定を取れればこの焦りからも解放されて、落ち着いて研究にも専念できると期待していた。
30分遅れで謝罪なし。追い打ちをかける圧迫面接に感じた疑問
面接当日。コロナの影響もあり、オンラインで行われた。
30分遅れて面接が始まった。
遅れたことに対して謝罪は一切なく淡々と始まった。
衝撃的なことに、圧迫面接だった。
高圧的な面接官の質問に必死に返していた。
「何故遅刻した上に、こんなに偉そうな態度で面接できるんだ?」と思った。
必死に返している自分に馬鹿馬鹿しくなった。
私の中で何かがプツッと切れた。
就活生を見下すような言い草の面接官の質問に、飛びきり盛大な嫌味で言い返した。
10秒ほど沈黙が流れた。
やってしまったという気持ちと、面接官の鼻っ柱を折ってやったような高ぶる感情が入り混じっていた。
そのあといくつか質問されたが、何を答えたのか覚えてない。
覚えているのは、60分の面接予定時間を10分で終わらせたことだ。
どうせ落ちただろうし、こんな企業の内定なんかいらない。苛立ちと高揚感を抱えていた。
「私にはもう研究しかない」と休学を決定。心がすごく軽くなった
企業で働くってそんなに偉いこと?
こんな嫌な思いをしてまで就活ってしなくちゃいけないの?
大切な研究の時間を削って、得るものは「企業にとって都合の良い人間になりすますこと」ですか?
生意気な子どもみたいなことしか思いつかなかった。
社会人の方に甘いと言われても何も言い返すつもりもない。
既に就活を終え、企業で働いてる人たちは、この社会に順応できているんだと思ったら、自分は順応なんて到底できない。順応できない私は誰にも必要とされていないと思った。
私には変えたい未来がある。その未来で必要とされる人間になる。一般企業で働くことでは達成できなさそうだ。私にはもう研究しかない。
そう思い、就活で中途半端になっていた研究に本腰を入れるために休学を決め、博士進学を目標にした。
休学を決めてから、心がすごく軽くなった。後悔も特になく、新たな目標に向かってワクワクしている自分に出会えた。
人生を問い直すきっかけをくれたツイート。就活はしてよかった
10月1日のツイートたちは、就職しなかった私に人生を問い直すきっかけをくれた。
就職しなかったのか、できなかったのか。そんなことは未来の自分が決定することにした。
今は就職しないけれど、就活はして良かったと思っている。
今の社会のあり方を問い直すことができたから。
社会に順応できるのは、才能だと思う。
でも、できない自分に才能がないとも思わない。
未来を支える形が企業で働くということではなかっただけだ。
就活で得た悔しさやもどかしさ全て抱えて、私は研究を続けようと思う。