まずはじめに、私は自分のことが嫌いだ。
顔、体型。
鏡を見るのが嫌で仕方がない。
外に出る時はマスクをすると安心したし、街中の硝子や鏡にふと写る自分の姿にゲンナリした。
世の中にはたくさんのかわいいキラキラした人が溢れているに、私はこぼれ落ちた存在。
そう思っている内に心まで荒んできて、私は自分の何もかもが嫌いになった。
自分に自信もなく自己肯定感もない。
落ちて落ちて、落ちていく。
とりあえず痩せてみようと食事制限をしてみるも、心もカラダもゲッソリするだけだった。

半ばヤケクソの開き直りから始まった、自己プロデュース作戦

もういっそのこと開き直ってしまおう。
半ばヤケクソだったが、これこそが私の小さな光となった。
こんなにも自分の嫌いなところを知っているなら、直せばいいところもわかっているはず。
好きになる努力をしてみよう。
とはいえ、お金はかけたくない。
続くかどうかもわからなければ、効果があるのかもわからない。
なら、手軽なところからはじめてみよう。
こうして、私による私のための自己プロデュース大作戦がはじまった。

まず、紙に自分のコンプレックスをひたすら書いた。
顔が丸い、目付きが悪い、どんな髪型もしっくりこない、肩幅が広い、胸が小さい、くびれがない、おしりがぺたんこ……挙げればキリがない。
それでもひたすらに書いて書いて書くまくる。
こんなにいっぱいあるのかと思いつつ、これらが改善されたら……とちょっとわくわくすらした。

「強制感」ではなく「自分の意思による努力」という言葉の魔法を自分に

さて、書き出したこれらをどうするのか。
私にとって、整形という選択肢は最終手段にとっておいた。
決して整形が悪いなんて思わない。
リスクも理解した上で整形をして、自分に自信が持てるようになれるなら、それは素晴らしいことだから。
ただ、私は努力するところから始めなければ、整形をしても自分に自信をもてるような気がしなかった。

元々痩せ型。でも、欲しいところに全く肉がつかないタイプ。
体重を増やしてみても、顔にお肉がつくばかり。
そして寸胴体型。
そんな自分を打破するために、とりあえずやってみてから合う合わないを判断することにした。
水をなるべく飲む、筋トレ、ストレッチ、プロテイン、食事改善……挑戦しては合わないものを辞め、効果を感じたものだけ残していく。
自分の心も体も健康的でいられる体重を理想として、数字よりも中身。筋肉をつけることを目指した。
「強制感のある我慢」ではなく「自分の意思による努力」という言葉の魔法を自分にかけて。

次第に体重はそんなに変わらなくとも、カラダにメリハリがついてきて、少しだけ女性らしさという武器を獲得した。
その武器が私に小さな自信をくれた。
鏡を見るのが嬉しくなって、自分のカラダをよく見るようになった。

自分のための努力は、私の中に小さな自信を積み重ねていく

それから、いい意味であきらめることにした。
すっぴんでもかわいい自分を求めることを辞めた。
まずは、メイクをした自分を好きになることからはじめてみよう。
自分の顔を受け入れて、似合うメイクを研究した。
顔の骨格を把握し、光と影を利用することを習得。自分に似合う色味も学んだ。
これもまた、私に小さな自信をくれた。

今まで人から『かわいい』と言われても、素直に受け取ることができず『私なんて』が口癖だった。
そんな私の中に重なっていく小さな自信たち。
あんなに自分を嫌いだったくせに『私って悪くないかも』という気持ちになってくる。
今思えば、それもシンプルかつ当然。
自分の嫌いで仕方なかった部分をなくしていったのだから。
もちろん、全くをもって完璧ではない。
それでも、あまりに嫌いすぎたが故にハードルが低かった。
ちょっとの自信を持てるようになると、なんだか心がキラキラした。
自分のために努力することが楽しい。

今の私はちょっと好きかもしれない。