生まれてこのかた、Aカップ以上になったことがない。
周りの女子たちがかわいいブラをつけはじめるころ、私の胸の成長はあっという間に止まった。

バストアップするための努力。でもなんで大きくしたかったんだっけ

普通に生きているだけで「貧乳」「巨乳」という言葉はどうしても視界に入る。胸は大きいほうがよくて、小さいのはだめだ、という刷り込みの中で私たちは大人になった。
胸が小さかったら子どもっぽく見えるし、胸元が開いた服は貧相に見えるし、おしゃれな下着は売っていないし、いいことなんてない。

マッサージをした。筋トレもした。ブロッコリーが効くらしい、鶏肉がいいらしい、そういう情報を得ては積極的に食べた。最終的にそこそこの値段がするちょっとあやしいサプリメントにも手を出したけど、体調に異変を感じてすぐに飲むのをやめた。
定期配送を止める旨をサプリメントの会社のコールセンターに告げ、その電話を切ったとき、私はふと思った。

そもそもどうして胸を大きくしたかったんだっけ。
どんなに考えても、「自分の胸にふわふわの脂肪がついている感覚を味わってみたかった」という以上の理由は思いつかなかった。なんて薄っぺらいんだ。

そこで私は、自分が胸の小ささを気にしていたのは、それをコンプレックスに思わなくてはいけないという価値観をじっくり刷り込まれてしまったせいなのではないか、と思った。

すり込まれてたコンプレックス。気がついた「私の体、結構いいじゃん」

そのことを意識して生活してみると、世の中は自分の体を否定するコンテンツに満ちていた。
胸は適度な大きさでいなきゃいけない。
痩せなきゃいけない。
目をぱっちりさせなきゃいけない。
手足はつるつるでいなきゃいけない。
こんな世界に生きていたら、自分の体を好きになれなくて当たり前だ。
そのことに気づいたとき、私は自分の体を許して、自分の体を好きになれなかった自分を許した。
他の誰が許さなくても、自分が許せばそれでいいと思えた。

そんなときにネットで見つけたのが、Aカップ用に作られた下着だった。
ワイヤーでしっかり形を作るようなタイプではなく、ナチュラルな形で、しかもデザインがかわいい。安くない値段だけど、試しに買ってみることにした。

数日後に届いた下着は、今までにつけてきたものと比べるとぺらぺらに感じたけど、実際につけてみてびっくりした。
カップが余らない。動いてもずれない。服を着たときにすっきりときれいに見える。
なんだ、私の体、結構いいじゃん。

自分のすべてを愛せなくても、私は私の体で生きていく

下着ひとつでこんなに変わるものなのか! と楽しくなった私は、それからもAカップのおしゃれな下着をネットで探しては購入するようになった。

サイズの表記は合っていても、自分の体には合わないものもあった。
胸が小さい人向けに作られた下着は「盛れる」ことを売りにしているものも多く、そういう下着には変な圧迫感があって落ち着かなかった。

心地よくて、動きやすくて、すっきりして見えて、デザインがかわいいもの。
自分の価値観だけに沿って、自分のためだけに下着を選ぶうちに、下着をつけた自分の体のことも好きになっていった。
華奢に見えるし、動くときにじゃまにならないし、私の好きなカジュアル系の服装が似合う。
私の体は、最初から私好みだったのだ。

自分の体型をコンプレックスに思うのも自由だし、コンプレックスに思わないのも自由だと思う。今の私には胸以外にコンプレックスがたくさんあるし、自分のすべてを受け入れて愛するなんて、とうていできそうにない。

それでも自分で好きだと思えるところがあるなら、私はもう卑下しない。他の誰かに否定されたって、誰かの価値観を押し付けられたって、耳を貸すつもりはない。
私は私の体で、堂々と生きていく。