私は自分の顔が好きであり、嫌いでもある。
生まれた時、私は一重瞼で生まれた。母も妹も弟も祖母も二重瞼なのに、なぜ自分だけ一重瞼なのだろうと思っていた。
幼い頃、クラシックバレエを習っていた私は、標準体重でありながらもクラシックバレエを習っている子の中では太っている方だった。一方、病気がちで小さく生まれた妹は細く、さらに母も華奢だった為、家族の中で太っているのは私だけだった。
物心が付いた時から、1人だけ一重瞼で標準の体型の自分は、親の実の子供ではないかもしれないとすら思っていた。
悪気はないと思うけど、祖母の言葉に私の心は深く傷ついた…
小学6年生の時、急性胃腸炎になり1週間近く何も食べられない日が続き、当たり前に体重が落ちた。その際、体重減少により脂肪も減ったのか奥二重になった。朝起きて、鏡で顔を見た時の「私はちゃんとママの子供だったんだ」という喜び、学校での周りの「可愛い!」の言葉に私はとても嬉しくなった。
だが、元々一重瞼だった私は二重が安定しない為、中学生時代はアイプチをしたり、テープのりで引っ付けたり、ありとあらゆる手段を試した。また、痩せようと思い下剤を適量の4倍飲んだ事や、お昼のお弁当をトイレに全部捨てていた時期もあった。
その結果、高校生になり2~3ヶ月に1度二重が腫れる程度になり、毎朝のアイプチ生活から解放された。
そんなある日、祖母から「あなたが小さい時はどうなるかと思ったけど、今は可愛くなって安心した」と言われた。その言葉は、私の心に深く傷を付けた。私にとっては「二重でなければ、あなたは可愛くない」「二重であることに意味がある」という言葉にすら聞こえた。その言葉を聞いて以来、余計に二重の人や可愛い、綺麗な顔の女性を観察するようになってしまった。
毎朝思う、一重だったらどうしようという不安と二重だった時の安心感
大学生になりサークルに入ると、顔の優劣で交友関係すら左右されてしまう事実に衝撃を受けた。そこでまた私は、自分の容姿を執拗に気にする事となった。
二重幅を広げようとメイクをした結果、二重が三重になったり、もはや自分は家族と違いアイプチをしなければ、二重が安定しないという事実に吐き気がするまでになった。
そして、大学2年生の時、私は二重整形手術をした。奨学金を借りながら、自分で学費を払う私にとって46万円という額は、とてつもなく大きな金額だった。ローンを組んでいる為、私は未だに返済中である。毎月支払う20,000円は、学生にとっては痛い。
しかし、毎朝鏡を見る際、一重だったらどうしようという不安と二重だった時の安心感、一重だった時に絶望する時間を考えると、安い買い物だなと思う。
今も心を締め付けることがあるけれど「自信」を持てるようになった
今でも、1週間スープしか食べないというダイエット法を試したり、炭水化物を食べられないという摂食障害を起こす事もあったり、私の容姿は今後の私の人生にも大きく影響してくるだろう。
今の私の顔は、整形で手を加えている為、生まれつきのものではない。その事実は未だに私の心を締め付ける。だけど、以前より自分の容姿を少し変えただけで、色々なことに自信を持てるようになったし、私服を楽しめるようにもなった。
見た目や容姿が、全てではない。自分がカッコ良いな。綺麗だなと思った女性のメイクだけでなく、服も同じブランドの物を買い、あたかも自分がその人になれたかのような偽りの自分に浸ることもある。
それは間違っているという考えも、理解出来る。でも、容姿を変える事で自分の気持ちも明るくなれるのであれば、私は服装やメイク、そして身体に手を加える事も悪くないと私は思う。