目が覚めたら病気のベッドにいた。顔が痛い、喉が痛い。
病院までの道のりを不安に思いながら歩いているのかと思ったら、それは夢だったようだ。
私は整形手術を受けて、それから目覚めたのだと意識が追いついてきた。
小さい頃に見た物語で、王子様と結ばれるのは「美しい」お姫様だった
腫れているのに顔に触れただけで、綺麗になっているのがわかる。
それは痛みにも不安にも勝って、喜びを感じた。
「やっと鏡から目を背けたくなる衝動がなくなるのかな」「やっと自信を持って人と話せるのかな」「はやく腫れが引いてほしい」と顔の鈍痛と喉の痛みではなく期待によって、麻酔の朦朧とした感覚から、はっきりとした意識を取り戻すことができた。
「鏡が見たい!」という期待から。
容姿のコンプレックスを感じ始めたのは、小学生低学年あたりだった。
ゴワゴワした髪の毛が大嫌いだった
小さい頃、憧れたディズニーのお姫さまたちとは、程遠い存在だと思ったのをよく覚えている
物語の最後に王子様と結ばれるのは、貧乏でもいじめられっ子であっても、圧倒的に美しい女性だ。
結ばれない人は、醜い容姿で描かれている。
誰に指摘されたわけでもなく、そういう扱いを受けたわけでもないのに美しい人たちと比較をすることが癖になって、そういう人たちとの違いを意識するようになった。
髪の毛だけではない。顔も体も、わたしは美しい人たちとは違う。
可愛くなることを諦めていくようになった。
可愛くない代わりに良い学校に入れたら、親しみやすい性格だったら…自分にも存在価値があるかもしれない。そう思って学生時代を過ごした。
努力もあって納得できる学校に進学できた。多いわけではなかったけど、いつもそばにいてくれる友人もいた。
でも、何か欠けているものがあって、それが埋まることはなかった。
「可愛くならないといけない」と思い、整形を繰り返した
大学には、頭も性格も良くてすごく可愛い子ばかりだった。
「わたしの取り柄ってなんだっけ?」「わたしの存在価値ってあるのかな?」そんな風に思うようになってしまった。
「可愛くならないといけない!」
元々化粧やファッションに興味があったが、顔のコンプレックスにとらわれるようになった時から「ブスがメイクやファッションに気を遣っても仕方がない」とそれらのことを放棄するようになった。
顔のせいにして可愛くなることを諦めてしまう自分が許せなかった。
「この鼻が良くなれば、そんな卑屈な考えはなくなるのかな?」と思い、整形手術という選択に迷いはなかった。
でも、鼻の手術をしても可愛くなることはできなかった。
「目がもっとこうだったら」「輪郭がこうだったら」「鼻筋もこうなれば」と、どんどん整形を重ねて少しずつ納得できるものになることはできた。
でも、ブスだ。
どんなに整形をしてもブスだった。
可愛くなろうと整形を重ねるたび、さらに容姿に「執着」してしまう…
ブスは、治らない。
もう考え方を変えなければ、ブスは治らないだろう。
自分でもわかっていた。どう捉えるかは自分次第だということ。
本当に治さなければいけないのは、顔ではなく考え方だということ。
わたしは、容姿についても考えることを手放そうと試みた。
でも、整形による後遺症は大きかった。
「整形したのに、みんなと比べてブス」「お金をかけて、努力したのにブス」そう思ったら、余計整形はやめられない。
整形を重ねれば、逆に容姿について執着してしまう。
だから「整形はやめよう」と思ったのに、また今日新たに整形をしてしまった。
いい加減「これで可愛い」と思えるようになりたい。可愛いと思えたら卑屈な考え方も治るはず!淡い期待を込めて…。