言葉は、人の心に容易に傷をつけられる。
「おいデブ。邪魔になるからどけよ」
小学校3年生の頃だった。
クラスの男の子からの一言で、私は自分が「デブ」であることを自覚した。
子供というのは時に残酷。
まわりと違うところを見つければ、ストレートに言葉にする。

そして1人が言葉にすると、みんながそれを真似っこしだす。
私がクラスで「デブキャラ」認定されるのに、時間はかからなかった。
それからは、すれ違い様に「ブタさん」呼ばわりされたり、身体測定の時には「体重何キロやったん?」と女の子からもいじられたり。
赤面する私を見てまわりの子達が面白そうに笑うから、私も一緒に笑うことしかできなかった。
でも、心の中では泣いていた。
こんなに悲しくて、恥ずかしい気持ちになるのはもう懲り懲り。
痩せてみんなを見返すしかない。

体重を減らせる達成感を味わうと「もっと、もっと」と欲が湧き出る

そう決心してから、私の努力の日々が始まった。
目標体重を書いた紙を部屋に貼り、大好きだったおやつを断った。
そして『ダイエット日記』なるものに毎日の体重や、運動量などを記録した。
さらには、自分の体型を人からいじられた時には、その内容について事細かに綴っていた(今思い返すと、すさまじい執念に恐怖すら感じる)。

こんな毎日を積み重ねていると、少しずつ体重が減ってきた。
自分の努力で、自分の意思で、体型をコントロールすることができた!
この達成感を一度得ると、心の中に「もっと、もっと」と欲が湧き出てきた。
こうしてダイエットがエスカレートした結果、食事の量はどんどん減り、次第に食べ物を口にするのが怖くなった。にも関わらず、ハードな運動を課し、何があっても徹底して続けた。
体は悲鳴をあげているのに、心はそれに追いつかない。
「まだこんなに太ってる。もっと頑張って痩せないと」
いつの間にか、体重は標準を大きく下回っていた。
「一緒に病院に行こう」
見かねた母に、とうとう病院に連れて行かれた。

私は拒食症と診断された。
「これから入院して、体重を増やしていこうね」
病院の先生の言葉に、頭が真っ白になったのを覚えている。
入院?なんで?私はこんなにデブなのに。
もっともっと痩せないとダメなのに。

あの時の経験は、言葉の重みを知り、人の優しさを感じることができた

太ることは、当時の私にとって一番の恐怖であった。
正常な判断すらできなくなっていた私に、先生や家族はとことん向き合ってくれた。
痩せる努力をしていた矢先、今度は太る努力をすることになった。
まわりに支えられて、私は少しずつ、本当の自分を取り戻していった。
太ることがあんなに怖かったのに、体重が増えるにつれて、不思議と笑顔も増えていった。
小学校を卒業する頃には、病院の先生に「もう通院しなくても大丈夫」と言ってもらえた。

それから10年以上の月日が経ち、私は25歳になった。
「今日も食べすぎた~。来年の結婚式までにダイエットしなくちゃなあ」なんて、痩せる気もなく幸せそうに話している現在の私を、あの頃の私が見たらなんて言うだろう。
あの頃、私は苦い経験をした。
しかし同時に、言葉の重みを知ることができた。
支えてくれる人の優しさを感じることができた。
同じ悩みを抱える人を、今度は自分が支えたいと思うようになった。
完璧でなくても、自信はなくても、まあまあそれなりの、そのままの私を受け入れられるようになった。

だから少しだけ、私は私を誇りに思う。