私はバドミントンを趣味にしている大学生だ。バドミントンは小学3年生から始め、高校を卒業するまで部活として続けた。中学生の私からしたら、高校まで続けたということに驚くだろう。
バドミントンと縁を切ろうと考えていた私にきた思わぬ誘い…
小学・中学時代の私のバドミントンのレベルは、いわゆる底辺。
試合に出れば、戦えて2回戦まで。2回戦まで行けば良い方だ。負け方は悲惨なもので、上手くいかないことにイラつき、態度は悪いを通り越して最悪。
あの時の私に助言するとしたら、「そんな試合態度なら、今すぐ棄権しろ」という言葉だ。
試合で勝てない理由は、レベルの低さの他に、練習に対する考え方も大きな要因だったかもしれない。私は高校での部活を通して、そのことに気付くことができた。
高校でもバドミントンを続けた理由は、ジュニア時代にお世話になったコーチからの「俺が外部コーチをしている高校で、バドミントンを続けないか?」という誘いがあったからだ。
誘いを受けた時の私は、バドミントンとは縁を切り、高校では新しい部活に挑戦しようと考えていた。そのため、すぐに返事は出来ず保留状態にしていた。保留にしている時点で、まだ少しバドミントンに対する未練があったのかもしれない。
1週間程自分自身で考え、「もう一度真剣にバドミントンに取り組んでみたい」という結論に至り、誘いを受ける事を決めた。
しかし、最初に目指していた高校と、誘いを受けた高校の偏差値があまりに大きな差が開いてしまうため、両親には猛反対された。部活を勉強より優先させるのは、両親的には考えられなかっただろう。
でも、私は自分の決定を覆すことは絶対にしたくないと思い、何日もかけて両親を説得し、ようやく承諾を得られた。
練習環境が必然と私を変えてくれ、高2の夏、キャプテンに指名された
高校に入学してからは、中学までの「私なんかが」という考えを捨て、「私が」という考え方に変えた。
同期には、大会で戦ったことがある子や、ダブルスで表彰台に何度も立っていた子が入部していた。先輩もインターハイに出場した経験を持つほか、地元では常に上位に入っている先輩たちばかりだった。
始めは、同期や先輩に追いつくことに精一杯だったが、練習に慣れてきたころには、常に試合をイメージするようになっていた。練習環境が私を必然と変えてくれていたと思う。
先輩に多くのアドバイスをもらい、同期の試合スタイルをよく観察することで自分の中に吸収していった。練習試合では、吸収したことを思う存分に試し、確実に自分のものにしていった。
その甲斐があってか、大会では団体メンバーにも選ばれ、試合に勝つことも多くなっていた。
高校2年生の夏には、キャプテンに指名され、自分がチームをまとめる役割になっていた。キャプテンとしてどうあるべきか悩み、プレッシャーに押し潰されそうになることもあったが、そんな時に支えてくれたのも同期のメンバーだった。
初めての海外と大きな大会。高校2年生の冬に経験した貴重な10日間
そんな毎日を送っていた時、思いもよらないことが起きる。
高校2年生の冬だった。インドネシアで開催されるユースの大会に県代表で出場することとなった。男女各8人の選抜で、私もその8人の中に選ばれたのだ。
最初は信じられなかった。でも、頑張ってきた自信は誰よりもあった。それがようやく実る最大の機会だった。12月に入ると、同じく選抜された皆でインドネシアへ旅立ち、約10日間滞在した。
初めての海外、初めての大きな大会、初めてのグリーンマットのコート、初めての国際戦。初めてだらけで、緊張はMAXだった。
リーグ式の団体戦だったが、1回戦目はぼろ負け。付き添いのコーチにもこっぴどく叱られた。反省を活かし、2回戦目に挑んだ。結果は負けてしまったが、自分の力は全力で出し切る事ができた。私のなかでは満足の出来だった。この日のために毎日頑張ってきたんだと思えた瞬間だった。
試合の他にも、現地のご飯を食べたり、世界遺産の見学に行ったりと、10日間で貴重な経験をした。今でもその時のことは鮮明に思い出すことができる。本当に私にはもったいないくらいの経験だった。
あの3年間で学んだ多くの事は、きっと社会人になっても活かされるはず
高校3年間で、私のバドミントン人生は大きく変わったと言える。同時に、自分自身も大きく成長したと胸を張って言える。
この3年間があったから、物事を諦めない忍耐力を付ける事ができた。他にも、仲間と協力すること、努力は時間がかかっても実る事など多くのことを学んだ。
今、バドミントンは趣味になっているが、高校で学んだことは、大学生活の中でも大いに活かされている。それは、大学を卒業して社会人になっても変わらないだろうと確信している。