私は、就活準備中の大学生だ。コロナで思うように行動できない毎日に愚痴ばかりを吐いている。
そんな私は去年の夏に大きな転機を迎えた。
激しい頭痛と嘔吐。頭痛外来で受けた結果はなんと、脳出血で…
1年以上経った今でも正確に日付を覚えている。
2020年7月25日の朝、私は激しい頭痛と嘔吐に襲われた。
異変に気付いた両親によって、朝早くから開いている頭痛外来へと連れて行かれ、そこでの診断結果に驚愕する。
なんと、脳出血だった。しかも、この日は2回目の出血だった。
つまり、25日以前にも出血を起こしていたのだ。
思い返せば、2日前にも同じように頭痛と吐き気を催した事がある。診察後、そのまま脳外科が入っている大きな病院に緊急搬送され、入院する事となった。この時、私は19歳であった。
脳出血ではあったものの、身体のどこかが麻痺するなどの大きな症状はなく、安定している方だったが、私の精神はどん底にまで落ちていた。
友達との連絡は必要最低限で済ませ、大好きだったインスタへのアクセスも全くしなくなっていた。外からの情報を徹底的に遮断したかった。
入院期間中の唯一の楽しみは家族との面会だけだった。それもコロナが流行している中だったので、限られた時間でしか会えなかった。
母は面会に来るたびに目に涙を浮かべていた。私は平常を保つのに必死だった。泣きたい気持ちは私にもあった。突然、突きつけられた悪夢のような現実を直視出来なかった。
でも、泣きそうな母や心配そうにしている父や姉を少しでも安心させたくて、家族の前でも泣くのは我慢していた。
「このままではだめだ」と書き始めた日記は自分と向き合える時間に
入院してから5日程経った頃、このままではだめだと思い、1日の終わりに日記を書くことを始めた。泣けない分、日記には多くの泣き言をつづった。他にもこれからどうしたいか、そのために何をするべきかなども書いた。
日記を書いている時間は、自分と真剣に向き合える時間だった。
入院中に大きな変化もなく、2週間で退院することが出来たが、実はこの時でさえも、なぜ脳出血を引き起こしたかの原因は判明していなかった。
MRI検査やカテーテル検査をしても異常が検査結果として映し出されることは無く、主治医も頭を抱えていた。若年での発症は稀なことで、すぐに判明しないことは仕方がないことだったのかもしれない。
不安が残る中での退院となったものの、家に帰れる状態になったということには安心して病院を後にした記憶がある。
しかし、退院後もしばらくは頭痛に襲われたり、てんかんへの恐怖に圧し潰されそうな毎日を送っていた。実際に発作は起こしていないが、脳出血の弊害として、てんかん発症の注意と薬の服用は続けていた。
人生は挑戦だ。ターニングポイントになったあの夏が成長のキッカケに
その後も通院を続け、10月にやっと原因が判明された。
どうやら、生まれつき頭に血腫があり、それが切れてしまったことで出血を起こしたようだ。原因が分かり、少しホッとした反面、完治はしないという現実も突き付けられた。それでも、状態は良好と判断され、予防的服用は推進されていないてんかん薬の服用も2021年の2月には辞めた。
日記を通して、多くの月日をかけて、私の精神も回復してきている。それでも、時々急に不安に襲われることがある。「いつかまた……」なんて考えてしまう。だって、頭に小さな爆弾があることに変わりはないから。
それでも前を向いて生きていかないといけない。生かされた以上、下ばっかり見てられない。
2020年の夏の出来事は決して良い事ではないが、私の大きなターニングポイントとなった。
自分の心に芽生えている興味や関心は、できるだけ実行していかないと後悔する。何でも後回しにしていた入院前の人生とは違う道を歩きたい。挑戦してみるという力が身に付き、それが自分の成長だと思う。
「人生は挑戦だ」
そう胸に刻んで、私は今日も自分の道を開拓しながら、一歩ずつ歩いて行く。