あれは15年前の中学校の夏。今思えば、あれほどに毎日何も考えていない時期なんて後にも先にもなかっただろう。
中学生で知った体育会系の世界、バドミントン漬けの夏休み
私はバドミントン部に所属していた。学校がある日は週に3日ほど部活をして、長期休みの時期は、お盆以外ほぼ毎日、大会に向けて朝から夕方まで練習をした。あの時は、上手くなりたい一心で毎日無心で生きていた気がする。
小学生のクラブ活動とは違って、きちんとした上下関係があり、1年生の時は30分程前に来てコート設営をし、氷で冷やしたスポーツ飲料のタンクを用意し、先輩が来る前に体育館前に並び、大きな声で頭を下げて挨拶をしたものだ。
バドミントン漬けの夏の唯一の利点は、直射日光が当たらない競技なだけあって日焼けをしないことだった。ただ少しの風でも羽の軌道が狂ってしまい、多少の太陽光で羽が見えなくなってしまう競技なのである。そのため体育館はいつもきっちりと暗幕をかけ、全ての窓とドアを閉め、扇風機を使える球技部活を羨む。そんな夏だった。
同じ球技なのになぜこんなに違うのかとよく思った。言えば、天然サウナで長時間動き回っているようなものだ。部員全員がこれ以上体の中に水分なんて存在するのだろうか?という程の汗を滴らせ、ストレッチからランニング、筋トレ、ダッシュ、ノックなどコーチが決めたメニューをこなす。
みんなでタオルで汗を拭き、休憩のときはスポーツ飲料を持って外に出ては制汗シートで体を拭く。じりじりと照る太陽光が眩しい夏の日、たまに吹く風が制汗シートで拭いた肌に当たりひやっとするあの感じはたまらない。
上手くなりたくて一心不乱。周りを羨む気持ちなんてひとつもなかった
私の学校は、その地区の大会に出れば優勝するわけでもなく、大して強いわけでもなかった。ただ何故か、コーチ兼顧問をしていた先生は練習に直向きで生徒に一生懸命だった。
自身も経験者で全ての指導をこなす先生だったが、より一層力を入れていたのは挨拶や返事、上下関係や人に対する態度だった。
入部したばかりの私は特に、3年生の先輩に恐怖を感じていて、先生が何故そんな所に力を入れているのかということには合点などいかず、ただ怒られないためにやらざるを得ないといった感じだったと思う。きちんと接すればとても可愛がってくれるような先輩達ではあったが、態度が悪い奴はみんな辞めさせられている印象があったからだった。
私としては、せっかく上手くなりたいのに、こんなことで身体的にも精神的にも身を削りたくないというのが本心だった。今思えば、社会に出て必要な人としての態度やあり方を徹底されていただろうと思う。
入部してからというもの部活漬けの日々で、あっという間に時が過ぎて行き、同じように暑苦しくも充実した夏を三度も過ごした。おかげで1年生の時には全くと言っていいほど飛ばなかった羽も遠くまで飛び、相手の動きを読んで色々な技を決められるようになった。
おかげでバドミントンがより好きになり、大会で強い選手を見に行ってはお気に入りの選手をマークして同期と騒いだりするなど、自分から楽しめる行動をするようにもなった。
あの時代はまだ動画配信などは進んでいなかったため、同期と割り勘をして上手くなるための本をみんなで買っては読み、昼休みに動きを確認したりもした。
夏休みに、彼氏と夏祭りに行ったり、友人同士で夢の国へ行ってキラキラとした時間を過ごしている同級生がいる一方で、私は毎日ただひたすらに滝のような汗を流していた。ただその3年間は一心不乱で、その友人達を羨ましく思い、自分もそうでありたいと思ったことは一度もなかった。
あの3年間ほど、毎日一つのことを全力で突き詰めたことはなかった
3年生の夏が終わり引退の時期となった時、高校受験の勉強をするため、いきなり部活に縛られる毎日がなくなった。何故か、寂しいという感情や、もう一度あの生活をと思うことはもうなかった。いわゆる燃え尽き症候群という奴だろうか。
自分がもうこれ以上出来ないのではないかというような3年間を送ってしまったため、満足感に駆られ、これ以上部活というものに何かを求めることがなくなったのだった。
ただ救いだったのは、バドミントンという競技を嫌いにはならなかったことだった。それからというもの、私は楽しく競技をすることを重きに置き、趣味の一環としてたまにやるようなスタンスに変えた。
だから、後にも先にもあの3年間ほど、毎日何か1つのことを全力で突き詰めたことはなかった。あの時の若さと好奇心ゆえに出来たものだったのだろうが、歳をとって何か試練があると思うのだ。
あの時、あんなに辛くてもどうにかやれていたのだからきっと大丈夫と。もう二度と経験することができないあの夏は、私の記憶に今も深く刻まれている。