「普通ってなんだろう、あなたは考えたことがありますか?」
数年前、高校生だった私は弁論大会でこのような疑問を投げかけた。
その時の弁論では、身体障害者である知り合いを例に出して障害者と社会の間にある壁について語り、ひとりひとりがその壁に違和感を持ち考え続けること、多様性を認めることを訴える内容だった。
しかし、本当は私自身のことを書きたかったのだ。

障害を告白し自分を解放したいのに、レッテルが怖くてできない。

7歳の頃、私は発達障害と診断された。
それを高校生活の中ではひたすら隠し続け、「天然」「やればできるのにやらない子」というレッテルに耐え、障害特性がばれないようにと必死になっていた。
障害のことがバレたら私の学校生活は終わると思っていた。

自称進学校に通っていた私は健常者として生きることしか考えられず、また周囲の環境も到底障害を受け入れてもらえるようには感じられなかった。
しかし、私は障害特性として得意分野と不得意分野の差が異常に激しく、例えば弁論のような文章を書き相手に伝えることや、国語系の科目は得意としていたが、数学などの不得意科目では底辺を争い、課題なども提出できず、「自分の好きなことしかやらない劣等生」というレッテルを貼られ苦しんでいた。

そんな自分から解放されたくて、初めは自分自身の障害の告白、そして見えない障害への向き合い方について投げかけようとしていた。でもできなかった。
怖かったのだ。
障害者というレッテルを貼られることが。

誰よりも障害者との壁を感じ、向こう側へ行きたくないと思っていた

障害者との壁のない社会の実現を謳いながら、自分の障害を明かせなかった私が結局誰よりも障害者との壁を意識し、その向こう側へは行きたくないと思っていたのだ。

数年後にその事実に気づいた私は酷くショックを受けた。
私はなんて非道な人間なのだろう!
身体障害を持つ仲の良い知り合いがおり、自分自身も障害を抱えているくせに障害者側に立つのは嫌だと考えるなんて!
誰よりも差別的な感情を持ち、壁を作っているのは私自身ではないか!
こんなことだから、私はいつまでたってもダメ人間なんだ!と。

高校を卒業後、大学生活で失敗し大学を中退した私は、現在、発達障害である自分自身を受け入れ、病院へ通院しながら障害者手帳を取得し、障害者として就職活動をおこなっている。

障害者という壁の向こう側へ来た私は今、苦しんでいるのか

障害者という壁の向こう側へ来た私は今、苦しんでいるのかというとそうでもない。
確かに障害者のレッテルを貼られ差別を受けることも確かにあるが、私の障害を受け入れ、支援し、仲良くしてくれる仲間がいるからだ。

その仲間の輪の中では、私は特性を隠すこともなく自分らしく振る舞うことができている。
いつかはその輪を外れたときにも、私らしく、「発達障害のゆうさん」でもあり、「様々な個性を持ったゆうさん」でもある存在として何を隠すこともなく振る舞えるようになりたい、と思う。

あの弁論を読んだ私へ。
あなたは自分の障害がバレることが怖かったかもしれないけれど、障害を隠さずに壁の向こう側へ来ることも案外悪くないよ。
私自身を隠すことなく私らしく振る舞える仲間ができるから。