「あなたは適応障害ですね。今すぐ休職した方が良い状態です。一か月位様子を見たほうが良いでしょう」
それは去年の秋、人生で初めて精神科に行った際に医師から言われた一言だった。
あの日、私は働く理由を失った。もう辞めたかったけれど、父に励まされて、また頑張ろうと決意した矢先の出来事だった。
『いつ辞めるかわからない時限爆弾』になってしまった私
何て残酷で、軽薄で、無責任な一言だったろう。私が「派遣でまだ3週間程度しか勤務していないから、今休職なんてできない」と言っても、「私にはそう言うしかできない」と突き放された。
せめて診断書を出してもらおうと思い頼み、薬をもらったが、あまり効いているとは思えなかった。診断された翌日、派遣会社の営業担当に相談したら、
「まだ若いのだから、いつ辞めても大丈夫よ。どんどん悪化したら大変だからね」
と言われた。
その言葉が、私にとってはとどめの一撃だった。頑張るために精神科に行ったのに、私は雇い主にとって、『精神障害でいつ辞めるかわからない時限爆弾』のような存在になってしまった。
私はもう、続けられる状態ではなかった。たった一か月で折れてしまった自分をなじっても、何も始まらないけれど、それでもやはり、辞めてしまったことは後悔した。
私らしく働ける場所で働きたいと思った
それから私は、適応障害と診断された診断書を利用して就労移行支援施設に通い始めた。私が通っている施設は、精神に障害を抱えた人たちが通う施設で、身体障害者ではなく発達障害や鬱病、統合失調症などの症状を抱えた人たちが通う場所だ。
おそらく何かしらの障害を負ってみないと、そんな施設の存在すら知らないのが普通だろう。ただ私にとっては藁にも縋る気持ちだった。いつも私を早く就職しろと焦らせてきた転職エージェントと違い、施設の支援員さんは気持ちに寄り添ってくれた。あの時私が救われたのは、支援員さんのおかげである。
私は、通いながら働く理由を考えた。そしてずっと気になっていた発達障害の検査を行い、ついこの間、自閉症スペクトラム(ASD)であることが発覚した。また発達障害の場合、複数の特性を併せ持つ場合があり、私はADHDの特性も有しているようだった。
私は発達障害の診断を受けてみて、改めて障害のことを明かして働くか否かを考えた。発達障害者の中にも、自分でも気づかないままに過ごしている人も多く、診断されていても開示せずに働く人もいる。もちろん、特性を生かして自分の努力の範囲内でできる仕事であれば、迷惑をかけずに働くことも出来るだろう。
私の場合は語彙の豊富さや、グラフや言語化されたものの理解力の高さが長所としてあるが、その代わりに同時並行作業や整理整頓が苦手だったり、非効率だったりする。発達障害者は良くも悪くもIQが高いものと低いものが極端に分かれるので、その分生きづらくなる場合が多い。
だから私は、私らしく働ける場所で働きたいと思った。障害者としてではなく、普通に働いた方が給料もスキルも上がるかもしれないけれど、これからは、自分に正直に生きたい。
私が働く理由は、感謝を伝えるため
多くの人は、きっとお金やキャリアを守ることも大事だと思うだろう。ただ私は、これ以上自分を殺して生きるのが怖くなった。私が発達障害の検査をすることができたのも、結果を大人しく待つことができたのも、就労移行支援施設の支援員さんのおかげだと思っている。もしあの時焦ってどこかの会社に入社していたら、きっとまたすぐに辞めていただろう。
今ではとても感謝している。
これからは、自分らしく働ける場所を探そうと思う。私が働く理由はたくさんあるけれど、まずは支えてくれている実家の家族や施設の支援員さんのために恩返しがしたいと思う。
私ができる恩返しはたかがしれているかもしれないけれど、今後は私が社会のために働いて、色々な人に感謝しながら生きたいと思う。だから私が働く理由は、感謝を伝えるためである。沢山の『ありがとう』を、周りの人に広めるために、私は働きたいと思っている。