17歳のとき、発達障害の診断を受けた。
忘れ物は日常茶飯事。上履きのまま家に帰ったり、移動教室先に荷物を全部置いて行ったり、うっかりミスばかり。思いついたらすぐ行動。
部屋は足の踏み場がないぐらいごちゃごちゃだし、ついでに頭の中までいつも妄想でごっちゃごちゃ。空気を読みなさいって言われるけど、そもそも空気が何がわからない。

ただの天然キャラだと思っていたら、発達障害だった

なんか私はみんなと違う。友達は私を見て「天然だね」「おもしろい!」って言うけど、別に変わったことをしているつもりはない。
先生にはいつもわざとじゃないのに怒られてばっかり。私は何が違うんだろう。ずっと頭の片隅にそんな疑問が浮かんでいた。

たまたまネットで見つけた発達障害。「いやいや、この怠け癖が障害?」なんて思ったけど、病院に行ってみたらやっぱり私は発達障害だった。
発達障害。この言葉が私の長年の疑問を説明した。
不思議でたまらなかった。
「これは生まれ持った特性。あなたは悪くない」なんて言うけど、いまいちピンとこない。
私は今まで散々怒られてきたじゃないか。

隠していたかった。なんだか恥ずかしかった。
本当に私はみんなと生まれつきの脳の特性が違っていた。今までのただの天然キャラが障害になってしまった。
それが友達に知られたら嫌われるかもしれない。私が発達障害であることは内緒にしておこう。これからはうっかりがバレないように、できるだけ目立たないようにしよう。
そう思った。

自分を偽り楽しくない毎日。これでいいのかと思い、友達に障害を告白

目立たないように自分を偽る生活は全然楽しくなかった。気をつけてもミスは絶えないし、自分1人で対処しきれないこともたくさんある。
ある日ふと感じた。障害って隠すような恥ずかしいことなのか。パラリンピックで活躍する人たちはみんな得意なことを見つけて、努力をして、キラキラ輝いている。障害がある人たちだって忘れてしまいそうな勢いだ。
なのに私は目立たないように自分を偽って、楽しくない生活を送る。そんな毎日でいいのだろうか。

確かに私は発達障害。苦手なことも周りよりは多い。でも、好きなことだって得意なことだってちゃんとある。だったら自分のできることを認めて、堂々としていればいいのではないか。
私の友達は、私が発達障害であるという事実だけで、私を嫌うような人なのか。そんなはずない。今までだって私の失敗を呆れながらもフォローしてくれたじゃないか。

言ってみた。
言ってみる前と言った後。何も変わらなかった。

忘れっぽい私の代わりに私の予定まで覚えてくれる友達。私が起こしそうなミスを先読みして教えてくれる友達。音に敏感な私に気を遣って私の近くの窓を閉めてくれる友達。多数決のときにちゃんと手を挙げたか確認してくれる友達。
私は今もたくさんの友達に助けられている。

好きなことを認め、苦手なことは周りの力を借りて自分らしく

高校最後の年。
相変わらず先生には怒られてばかり。悪いのはわかるけど、なかなか直せなくて、もう嫌になる。直したくても直せない気持ちもわかって欲しいな、なんてわがまま言いたくなるけど、発達障害という概念がまだなかった頃に生まれたおじさん先生たちにはわかってもらえそうにない。まあ仕方ないか。

高校を出たら大学に行く。
もっと厳しい世界が待っているかもしれない。
今の友達とも離れてしまうかもしれない。
でも、私は自分が発達障害であることを隠して恥じるつもりはない。
developmental disorderって言うけど、いつかdevelopmental individualityぐらい、苦手なことも含めて個性として認めて助け合える社会になれば誰でも生きやすいのに。と思う。苦手なことがない人間なんてどうせいないはず。

最初は発達障害と言われて戸惑ったけど、友達に言ってみても何も変わらず接してくれた。結局ただのうっかりに名前がついただけみたい。
幸い、卒業しちゃえばめんどくさい先生とも離れられるし!悪いところはちょっとずつ、自分のペースで直していけばそれでいい。

これからも好きなことや得意なことを認めて、苦手なことは周りの力を借りて自分らしく生きていきたい。