あの日に戻れるなら、ある後輩とたくさん話をしたい。
彼女はきっと私と似た考え方をしていたけど、彼女が亡くなってしまった今はもう確かめようがない。どんな人生を送ってきたか、なにをきっかけに「死」を身近に感じたのか、意見を交換したい。
死なないことが目的だった私。周りのみんなは生きることが前提で…
ごく一般的な環境で育った私だが、残念なことに考え方に少し偏りがあった。常に私の頭の中には「死」が、身近な選択肢として含まれていたのだ。
例えば犬の散歩に行く場合、河川敷を散歩すると頭の中に選択肢が現れる。「あなたはここで川に飛び込み死にますか?YES.NO」という風に。
小学生の一時期、嫌がらせをうけていたことがあるのだが、「私がここで自殺したらいじめっ子たちはどう思うのか」と考えたこともあった。私の人生の目的は「死なないこと」、生きる続けるための免罪符は「他人から必要とされること」だった。
慢性的に生きづらさを抱えていたのだが、それを自覚したのは大学生の時だ。親しい友人と話をしていた時、「生きづらい考え方しているな」と言われたのだ。
何を話したのかは覚えていない。それほど私にとっては染み付いた考え方だった。
学生時代は何の問題もなかったが、社会人になると途端に躓いた。
「死なないこと」が目的だった私にとって、仕事は収入を得るための手段だった。保護者が必要な子供とは違い、ある程度年齢を重ね、お金を持っていれば死ぬことはないと分かっていたから。
しかし社会では、「よりよく生きるため」に仕事をしている人達ばかりだった。「旅行に行くため」「服を買うため」「家族を養うため」。すべて「生きること」は前提だった。「仕事を頑張って給料を上げて、好きなものを買いたいって思わないの?」と私に尋ねた同僚は、ほどほどに仕事をしていた私への疑念があったのだろう。
見失う仕事のモチベーション。転職活動をするなかで知った後輩の死
就職したことで生きる為に必要な最低限の収入を得られるようになった私は、仕事のモチベーションを見失った。難しい仕事を任されることもあったが、これをやって私に何の利益があるのだろう?と当時は本気で考えていた。
気の合いそうな後輩はいたが、周囲の人との考え方の差は仕事の結果や人間関係にも現れ、会社で働き続けることに不安を感じ、私は勤めていた会社を退職した。
新しい会社に就職したが、根本的な考え方が変わっていないのだから同じことの繰り返しだ。新しい会社に在籍しながら転職活動をしていた私は、ひょんなことから気が合いそうだと感じていた前職の後輩が亡くなったことを知った。
自死だったらしい。皮肉にも私は彼女が亡くなったことで彼女と私の共通点に気付いてしまったのだ。お互いの考えを話し合うことも、辛い体験を慰めることも、「明日からまた頑張ろうね」と言う日が来ることも永遠にない。
後輩からのLINEを読んで浮かんだ後悔とじんわりと広がった気持ち
帰宅後、LINEの「お友達」を確認すると、彼女の名前があった。最後のメッセージは彼女からのごはんの誘いだった。そういえば、仕事で一緒に外回りをしたことがあったっけ。
移動中の車の中で、少しだけ人生感について話をしたことがあった。彼女は私と話した後、「こんなに話が合う人は初めてです」と言ってくれていた。
でも彼女はもうこの世にはいない。私の心の中には、もっと仲良くしておけばよかったという後悔と、自分も仕事をしていて余裕がなかったという言い訳と、この気持ちを”大切にしたい人達”に抱かせたくない、だから私は死んじゃいけない、という気持ちがじんわりと広がった。