最近サステナブルという言葉をよく聞くようになった。しかしもっと前、小学生だった十五年前くらいから、私はサステナブルな大人、働き続けて自分を支え続けることができる大人になりたいと思っていた。

生きていくにはお金が必要。ずっと働くことができる大人になろうと思った

そう思うようになったきっかけは、当たり前だけれど人は死んでしまうと知ったからだ。
小学三年生の時、仲良しだったYちゃんのお父さんが亡くなり、私は生まれて初めてお通夜に参列した。
斎場に着いて、お焼香の順番を待っている時、大きな祭壇、線香の香り、真っ黒な服を着た人々というお葬式独特の雰囲気に怖気づき、思わず母親のスカートを握った。
そんな時に椅子に座っているYちゃんを見つけた。他の人と話しているお母さんの横で、眉を少し寄せて不安そうに次々来る弔問客をじっと見つめていた。

その姿を見た時、あっと思った。Yちゃんはお母さんの服をきっと握れないのだ。なんでそう思ったか当時はわからなかったが、お母さんもがんばっているから自分もがんばろうというYちゃんの気持ちを感じとったのだと思う。
私は、今横にいる母も、仕事をしている父も、将来できるかもしれないパートナーもいなくなってしまうことがあるのだと気が付き怖くなった。
自分を頼りに生きていくしかない。そのためにはきっとお金が必要で、だからずっと働くことができる大人になろうと思った。
その思いは大学生になっても変わらず、需要がこれからも伸び続けるであろうIT業界で働くことを決めた。

「自由に好きなことをして生きる」ことが理想だった

入社二年目くらいまではできることが増えて、お金ももらえて楽しかった。
でも、だんだん周りを見る余裕がでてくるとあれ? と思うことが増えてきた。評価体制、会社の経営方針、毎日残業しないと終わらない仕事量。
自立して生きていくためにずっと働くことができる大人―おそらく能力的には近づいている。この会社はしばらくつぶれなさそうだし、疑問に思うことはあっても、給料は安定してもらえるしこれでいいんだと思いながら働いていた。

そんなある日、会社のキャリア形成研修に参加した。研修のゴールは「自燃型人間」になること。モチベーションが上がるきっかけを理解して、自分で自分を燃やせる積極的な人になりましょうということだ。たしかにずっと働くにはモチベーションは重要だし、自分で燃料を調達できるなんてエコだなと思ってまじめに研修を受けることにした。
自燃型人間の説明後、理想の人物を三名書いてグループ内で発表するというワークが始まった。五分という短いシンキングタイムの中でパッと思いついた人物をノートに書き、いざ発表となったが、他の人の話を聞いているうちにまずいと焦ってきた。理想の人物像に上司やお客さん、後輩がたくさんでてくるのだ。おまけに本当に私と同じ職場で働いているのかと思うほどドラマチックなエピソード付き。ちなみに私が書いた人物は以下だった。

一.プログラミングが好きだし、とんでもなくできる職場のママプログラマー
二.宮下奈都(作家)
三.ダンスの先生

好きなことがある、それでお金を稼ぐことができる、マイペースという、なんというか自由に好きなことをして生きたいという内容が書かれていた。
隠しても仕方ないのでそのまま発表したら「会社入ったらダメだったね」と言われた。
なんてこった。入る会社を間違えたのではない。会社に入るのが間違いだったのだ。

一番燃えるものを見つけて働こう

でも、本当は少し気が付いていた。
ずっと働ければいい、お金を稼げればいいだけでは働く時間は長すぎるし、なにより満足できそうにない。
私はもっとわがままだ。好きなことで自分を燃やして、お金を稼いで、幸せに生きたい。そうだ、私は幸せに生きたいのだ。
お金がないからと何かをあきらめることも嫌だし、お金のためと嫌なことを我慢することも嫌だ。小学生の私もきっと自分で自分を幸せにしたいというのが本当の気持ちだったのだ。

だから一番燃えるものを見つけて働こう。そのためにたくさんの好きに触れて、いろいろな燃料を試してみよう。
このエッセイを書いているこの瞬間も、これが、文章を書くことが一番の燃料だといいと思いながら実験の真っ最中だ。