華の女子大生生活3年目、私は鬱病になった。
あとから分かった事だが、慢性疲労症候群の症状の一つの鬱状態が悪化した形になる。当時私は同い年の彼氏と同棲しており、研究室に通うのに忙しい彼の代わりに、夜ごはんを作ってあげていた。
毎日ご飯を作るのは大変だ。作り置きが苦手な私は毎日スーパーにいき、その日安い食材をメイン料理にするというルールを作って、鶏肉が安い日はチキン南蛮、照り焼き、トマト煮。牛肉が安い日は重ねてステーキ風、赤ワイン煮込み。魚が安い日は煮つけ、塩焼き。
料理自体は好きで、美味しい美味しいと文句も言わず食べる彼氏を見て、毎日が充実しているように感じた。学業・アルバイト・私生活、スケジュールをパンパンに入れないと気が済まない私はずっと好きで動き続けていた。

鶏肉を見ても、そこから何も考えられない。少しずつ私が狂っていく

しかし、自分が気づかないうちにガタが来ていたのだろう。
夜眠れない。他人が羨ましく見えて怒りが湧く。勝手に涙が出る。
少しずつ私が狂っていた。私も彼も気付いているようで気付かないふりをしていた。
一番自分で「自分がおかしくなった」と自覚したエピソードがある。
ある日、いつものように夕方にスーパーに行った。そこで鶏肉が安い……と思っても、そこから何も考えられなくなっていることに気づき、パニックになった。
いつもなら、鶏肉が安ければこれを作ろう、と連想が出来ていたことが出来ないのだ。不思議だった。頭で鶏肉?鶏肉でどうしたらいいの?という事ばかり考えていた。
鶏肉だけ買って、自分がおかしくなっていることがショックで泣いて帰った。キッチンに立ってとりあえず野菜を切ってみるものの、意識がどこか遠くにいってしまい、包丁を握ったまま茫然と立ち尽くしている私を彼氏が発見した。彼氏が心配しながら、今日は僕が作るよといって私を座らせた。私は悲しくもないのに泣いていた。
夜は眠れない。寝ている彼氏がとても憎く感じるほど辛かった。
微熱が1ヵ月ほど続いた。普通に食べているのに体重が1ヵ月で8キロ落ちた。そしてお風呂にも入れなくなり、ついでに背骨沿いの神経と腋の下の神経がピリピリするようになった。神経の病気かと神経内科に行くと、心療内科を案内された。わかっていたが避けていた現実を知った。

介護のようにお風呂に入れ、薬をのませ、寝かせ、散歩に付き合う彼

「時間が解決する」とはよく言ったもので、時間は勝手に流れ、私たちは大学4回生になった。私は薬で毎日眠り、毎日頭がぼやっとする薬を飲んでいた。そして薬の種類は減っていき、私は完全には元には戻らなかったが、普通に生活が出来るようになった。
この私の復活は、本当に彼氏のサポートがあったからこそである。彼はまるで介護のように私をお風呂に入れ、薬をのませ、寝かせ、散歩に付き合った。
散歩中に出会う楽しそうな学生を見ると、私の目から勝手に涙が出てくるので、あっちにいこうねと道を変更したりもしてくれた。本当に介護のようだった。
やがて鬱から復活した私は大学を卒業し、彼は大学院へ進んだ。
私は昔の自分なんてなかったかのように社会で羽ばたいていた。新しい環境が楽しかったのだ。完璧主義の人間は、仕事はできるが鬱になりやすい、というのは本当だと思う。
私は出世も早かった。ワーカーホリックになり、彼氏とも疎遠になり別れてしまった
。私は本当に恩知らずだと思う。細々と連絡は取っていたが、昔の弱った私と介護をしてくれた彼との生活は遠い昔の物になってしまった。

楽しそうに研究室の話をしていた彼に、本当は異変が起きていたなんて

彼はその後大学の博士課程へと進んだ。私はもう社会人3年目になっていた。
時々とる連絡には、毎日研究室へ通っているという内容が書かれていた。研究が楽しそうで私は心のどこかでホッとしていた。彼には幸せになってほしかったのだ。
「A君、研究室がブラックすぎて大学に行かなくなっているんだって」
こんな話をある日、元彼と共通の知り合いから聞いた。A君とはあの介護をしてくれた元彼の事である。
私は連絡を取り合っていることを知り合いに言っていなかった為、「え、そうなの?なんで?いつから?」とさらっと聞いてみたところ、衝撃の事実があった。
時々私と連絡を取り、楽しく研究室の話をしていた時期と大学に行かなくなった時期がまるまる被っていたからだ。
私はこの事実を知り、ショックを受け落ち込んだ。彼は研究室で心に傷を負い、あの部屋で一人で泣いていたのだろう。そして私に悟られたくなく、「研究室が楽しい」と連絡をしていたのだ。あの優しい彼を傷つけた研究室が許せなかったし、気付いてあげられなかった私自身も許せなかった。
私はそれ以降もその事実を知らないフリをして彼に連絡をし続けた。正直な気持ち、彼に死んでほしくなかったのだ。私が少しずつ狂っていったあの部屋で、彼も同じように狂ってしまったら誰が彼を救うのだろう。

どの日に戻って、どこからやり直せたら私たちは狂わなかったのだろう

彼からの連絡の嘘が本当に辛かった。夕方になると研究室抜けてきた、ご飯食べる。と連絡がくるのだ。どんな気持ちでその文章を打っていたのだろうか。私は、昔の自分の辛さも悲しさも全部経験しているのに、なんで気付いてあげられなかったのだろうと本当に悔やんでいる。
彼は最終的に大学博士課程を中退した。大学のOBでの集まりがあった際に、彼はその話を笑い話にしていた。
その話をしている際は絶対に私のほうは見なかったし、私に対してその話をしなかった。弱っている自分を見せたくなかったのか、私に心配をかけたくなかったのか、事実はもうわからない。しかし今でも彼とは連絡を取り合う仲だ。

「あの日に戻れたら」と思うが、どの日に戻って、どこからやり直せたら私たちは狂わなかったのだろう。私がおかしくなった日なのか、私が社会人生活を楽しみ出した時なのか、別れた日なのか、彼が辛かった日なのか。
あの狭いが楽しかったあの部屋で自分が辛かったことを思い出し、また彼が辛かったことを想像すると今でも涙が出る。
私たちはもう戻らないし戻れない。私は彼が幸せになることを心の底から祈っている。