かがみよかがみでは、「共学、別学に思うこと」をテーマにエッセイを募集しました。たくさんのご応募の中から、朝日新聞・朝日新聞デジタルで共学・別学について取り上げてきた田中聡子記者にご講評いただきました。

田中記者からの総評

共学・別学のそれぞれを評価する言葉が世の中にあふれています。逆に、共学で性差別を体験した人もいれば、別学で息苦しさを感じた人もたくさんいるでしょう。私自身は共学しか通ったことがありません。比較対象がないためか、もし私が「共学ってどう?」と聞かれたら、「うーん、いやなこともあったし、楽しいこともあったし、でもそれが『共学だから』かどうかはよく分かんないなぁ……」と、何が言いたいのかよく分からない人になりそうです。

講評にあたり、あえて「共学だから」体験できたことを思い出してみました。幼い頃から背が高くてがたいもよかった私は、小学校高学年から中学まで、ずいぶん男子から容姿をからかわれたものです。小さくてかわいらしい同級生との明らかな扱いの違いは、きっと私の何かに大きな影響を及ぼしているはずです。高校に入ると、入学したての女子を「かわいい」とめでる男子上級生がたくさんいて、私にもその言葉が向けられ、心底驚きました。なにせ、親以外から「かわいい」と言われる人生初の体験だったのです。それをくすぐったく感じられた日には、もう戻れません。今なら「何値踏みしてんだよ!」と言ってしまいそうです。大学に入ると、さらにレベルアップ。校舎のベンチで読書をしていた時、目の前に座った男子学生(か紛れ込んだ人かは不明)が性器を出してきたという恐ろしい体験があります。もはや犯罪です。「変態野郎!」と言ってその場を立ち去りましたが、通報してやればよかった。

なんだか「共学だから」で振り返ると、ひどいですね。でも、実際の私の学校生活は、決して地獄のようなものではありませんでした。当時の写真を見れば楽しそうに笑っていますし、人並みに青春だって謳歌しました。でも「共学だから」で思い出すと、なぜかこんなにも嫌なことばかりになってしまいます。それは、性別でものごとを切り取った時に見えてくるのが、女性差別だからではないでしょうか。賃金格差、雇用形態、夫婦の姓、暴力。会社にも家庭にも、社会のあらゆる場に女性差別がはびこり、学校も例外ではない。「共学」で何かを語る時にいやな思い出ばかりなのは、そのせいなのかな、と思っています。

学校生活を終えて20年近くたち、ようやくその程度のことまで思い至った私にとって、みなさんのエッセーには「負けた!」という感覚です。「女子校と共学」や「女子校と社会」とを比較して感じた怒りややるせなさだったり、私が言語化できなかった共学でのわだかまりだったり、さまざまな体験を鮮やかに表現してくれました。どれも個人の体験のはずなのに、多くの人にとって「いつかどこかで見た景色」なのではないでしょうか。女子校出身だろうと共学出身だろうと。

◆かがみすと賞

女子大生ランキングの記事。私にとって女性蔑視は他人事だったのだ(森山とまと)

「私にとって『女性蔑視』は他人事だったのだ」という一言に、「分かる!」と思わずひざを打ちました。性的に値踏みをされ、その上位にいるかどうかを自分の「商品価値」と思い込み、蔑視されているどころかむしろ優位に立てるような勘違いをしていた時期が、私にはありました。女性教授の悲しみと怒りは、当時の私に向けられているものでもあります。教授の言葉にはっとし、自分事になった様子が、見事に描かれていました。その体験を闘志に変え、「私たちならできる」というエールをくれた森山さんに、連帯します。

◆次点①

女子校なんて贅沢だ。母を泣かせた途方もない金額の叶わなかった青春(焼き茄子)

繰り返される「いいなあ、女子校」の言葉に出会うたびに、ぐいぐい焼き茄子さんの感情の世界に引き込まれていきました。「共学と別学、どっちがいいか」という問いそのものが、選択肢がある人にしか向けられていないのだと気付かされました。お金、親の考え、地域、学力などさまざまな要素の中で、どれかに恵まれていなければ、選択すらできないこともある。終盤で明かされる「今のわたしの職場の近く」にその女子校があるというくだりでは、思わず鳥肌が立ちました。

◆次点②

女子空間に溶け込んでいた男子。「自分は男しか愛せない」と打ち明けられた(鶴楽なすい

しばしば聞く「共学なのに実態は女子校」という環境で、数少ない男子は、居心地悪くないのかな? と思っていましたので、溶け込んでいた男の子のお話に、心が温まりました。トンチンカンな心配をする先生たちにプライべートなことを打ち明けるほど、その男の子にとっては、壊したくない、大切な空間だったのではないかと、勝手に想像しています。保育や看護などの専門知識を学べる学校に女子が多いのは、「女の子は手に職をつけなければ仕事がない」と言われたり、「ケアは女性の役割だ」とされたりすることが背景にあることも示唆してくれました。

●講評を担当した田中聡子記者のプロフィール

朝日新聞オピニオン編集部記者。2006年に入社し、盛岡、甲府総局、地域報道部や文化くらし報道部記者を経て昨春から現職。PTAや夫婦の姓、性暴力、人工妊娠中絶などの取材を続けています。