SNS。それは、「なくても困らない」が、「あると良いもの」のはずだった。
SNSは私たちにとってなんだろうか。
"バズった"ものは、あたかも正解や素晴らしいものかのように
コミュニケーションツールとして手段だったはずが、いつからか目的化してしまっている。それが、SNSが引き起こしているネガティブなものの根本的な原因なのではないかと思う。
手段というのは、目的を叶えるためのひとつの方法である。他にそれを叶えられるのであれば極論はSNSはやらなくてよいとさえ思う。
たとえば、自分が発信することで繋がっている人に情報が伝わる。それは見られているのか見られていないのかさえ、厳密に確かめることは不可能だ。
そんな不確かさの中で、いいねやコメントなどの反応といった"他者からの評価"にときに右往左往する。そして"バズった"ものは、あたかも正解や素晴らしいものかのように取り上げられたり捉えたりする。
では、果たして"バズった"ものは素晴らしいものなのだろうか?
何も考えずにすごい、すごくないと決めるのは簡単なことだ。けれどそんななまぬるい人間に成り下がるのではなく、確かなものさしを自分の中に持つ必要があるのではないかと思う。
絶対的なものなどない。どれだけ多くの人が正しいといっても、その裏には必ず誰かの正しくないがあるはず。
だから、ちゃんと確かな"ものさし"を持たなくちゃいけない。SNSに操作されないために。
同世代が市場に少なくて居心地が良いFacebookで体験したこと
私は、20代にしては稀にFacebookをSNSのなかでもっとも使っている。
理由はシンプルで治安がいいから。そして同世代が市場に少なくて居心地が良いからだ。
そんなFacebookの中で、もっとも反応をもらったのは300いいねくらい。コメントも100件とかそのあたりだったと思う。
そのころはいいねが多いほど嬉しいと思っていたし、それにより承認欲求はたしかに満たされていた。
一方で、最近になってはできるだけ見られたくないなと思っている。発信しておいてなんだと思われるかもしれない。それは、厳密にいえば"見てほしいひとに見てほしい"が正しい。
友達の数も始めたばかりの頃は、多くしたいと思っていた。けれど900人以上の人と繋がってしまった今は、なんだか正直しんどいものがある。
こういうと、センシティブそうに聞こえてしまうかもしれないけれど、実際に体験したことはいいことばかりだ。
まず、なんども投稿する中で私の考え方や価値観が自然と伝わる。それによりそれを好いてくれるひとや共感できるなにかを持っている人が近づいてきてくれるように感じる。また、自身の興味や関心を伝えることができ、関連するおすすめを紹介していただくこともなんどもあった。これはとってもありがたいこと。
また、はじめは小さな接点だったひとと、投稿を通じて交流が深まり、リアルでもお会いしては深いつながりに変わっていくことも少なくなかった。
とはいえ、フラットに期待せずに自己満足の延長くらいでやるのが良いと、心にものさしを入れてあげるのも繊細な自分をケアするための習慣のひとつ。
溢れかえっているタイムライン。ミュートすることなんて日常的なこと。だからこそ、みてもらえるだけで幸運だ。いいねや反応をもらえて、なんらかのつながりや化学反応が生まれればそれは素晴らしいことなんだって。
SNSの目的化で1番悲しいのは、目の前の人を大切に出来なくなること
これらはいずれも、あくまで手段として働いてくれているから心地よいのだと思う。SNSが目的になるとしんどいものがある。だからしんどくなる前に意図的に離れた方がいいし、持たなくてもいいものだと、いつでも手放せる状態でいる方が心地よい。
いわゆる繊細さんにとって、SNSは諸刃の剣だ。
多くの人に見られたいとも思わない。100いいねより君からの1いいねがあるほうがうれしい。そんなものだ。どんな人間関係を築きたいのかがもろに出るものだと感じる。深く狭くがいい私にとっては、そっちの世界が心地よいのだ。
究極のほんとは、1対1のコミュニケーションを味わいたい。けれど、伝えたくてでもダイレクトに伝える勇気がでなくて。そんなときに偶然にでも目に入ってくれたらいいな。
そんな恋とも似つかない駆け引きにSNSを気ままに使ってみるくらいの遊びゴコロをもっていい。
いつ離れようと、いつ戻ってこようと、全部全部あなたの自由なのだから。
SNSが目的化して1番悲しいのは、目の前の人を大切に出来なくなることだ。せっかくの素敵な体験をシェアしていても、意識がSNSに何をあげるかという視点を持ってしまうとその場に集中できなくなる。人は今に集中できなくなると幸福度が下がるとも耳にしてみては、ああやっぱりそうだよねと思ってしまう。
映えや贅沢は、ときにマインドフルネスな幸せを奪う罪な存在である。
SNSは溢れ出たほんのいちぶをあげてみるくらいの温度感でちょうどいいんだと思う。