女性は痩せている方が美しい、という男女共有の価値観

クリスマスに近づくと思い出す言葉がある。
それはバイト先のバーで迎えた、とある年の12月25日だった。

その日、大学生たちがクリスマスパーティーのために貸し切っており、忙しく過ごしていた。まだ飲み方を知らない彼らは徐々に好き勝手な行動をし始め、ため息まじりで接客にあたっていると、
「おねえシャン、もっと痩せた方がいいよ」
と急に後ろから、呂律が回っていない声が聞こえた。振り返るとサンタクロースの帽子を被った男がニヤニヤしながら立っていた。
「50キロ以上あんでちょ?女は痩せてりゅに越したことないかりゃ、新年迎えりゅまでに頑張った方がいいにょ。レちゅリングでもやっていにゃい限り、しょんな太い足は必要にゃいよ」
隣でチークが必要じゃないくらい真っ赤な顔をしたミニスカサンタクロースたちが、妙に甲高い声で笑っていた。

当時の私があの後とった行動は上手く思い出せない。それよりもあの団体客が帰った後の片付けの方をよく覚えている。
退店後も1人トイレに残った酔い潰れた女の子のために、ドンキまで下着とストッキングを買いに走ったり、フロアに無限に落ちている落とし物を拾ったり……。
それでもあの出来事以降、よくあの言葉を考えた。身長や筋肉といったトータルバランスを考えた上の発言ではなく、「女性が50キロ以上あることが見苦しい」という価値観なのだろう。
そしてあのミニスカサンタガールズの同意を込めた笑い。ショックをより強くしたのは彼女たちのリアクションだったのは確かだ。
バーで働いていると、多かれ少なかれ女性の見た目に関する発言はよく耳にした。あそこまではっきり言われたことはなかったが、「美しい女性像」は男性女性ともに一致していることは確かだった。

そのダイエットは誰のため?

確かに、私の体重は60キロ近くあった。高校生の頃は無理なダイエットもしたが、西欧の女性像に憧れが強かった私は、徐々に数字ではなくシルエット重視の思考へと変わっていった。
しかし、不意に言われたあの言葉を掘り下げる価値があると思うのは、あのクリスマスから10年近く経った今でさえ、大して女性の美の基準が変わっていないと思うからだ。

教育関係の仕事に就いていると、女子中高生のトレンドを容易に追うことができる。
現在の彼女たちの冬の定番スタイルは、制服にモコモコアウターを合わせることだ。トップスにボリュームがあるため、足は細くありたいらしい。足痩せマッサージを部活動の準備運動中にしている姿を見ると切なくなる。

そしていつの時代も変わらないことだが、給食の牛乳を残すのは圧倒的に女子が多い。
理由は当然ダイエットのため。確かに200ミリリットルで約140キロカロリーと数字だけ見ればかなりの高カロリー。少女の強いダイエット思考を変えさせるのは不可能に近い。
だが、それが誰かのため、特に男性のために抱いているのであれば、私のあのクリスマスにもらった望まないプレゼントである発言を忘れることはできないだろう。

女性にとって美とは、男性基準の美なのだろうか

今の私の体重はあの時とさほど変わっておらず、あの時の招かれざるサンタクロースの彼に言わせれば、学ばない女なのかもしれない。まあ、あの呂律具合から言って、覚えていない可能性が高いが。
当然レスリングも始めていない。でも、あの言葉の後、散々「学んだ」上でこの体型を変えることを選ばなかったのだ。

いつから私たち女性は、男性基準の美を自分たち女性にとっての美としても採用したのだろう。
あの日トイレで動けなくなっていた女の子は、Sサイズの下着を着けていたが、どう見てもLサイズ並みのセクシーなヒップだった。だから本当のサイズの下着を渡したが、履き心地はどうだっただろうか。
そして落とし物の中には男性用の避妊具もあったが、特大サイズだった。見栄だけで取り返しのつかないことをしていないだろうか。

クリスマスはいい子でいたらプレゼントがもらえるが、本当の自分でいたらプレゼントをもらえる……そこまでの変化をしないと、この価値観は変わらないのかもしれない。