マスクは良い。
リップが取れていても大丈夫だし、ニキビもそばかすもバレない。元々メイクが好きだから、アイメイクに力を入れられるのは楽しい。
そして何より、顔の半分以上が隠れる。

マスクという鎧を外してしまうと、恥ずかしいし隠れたくなる

人と話す時、いつも自分の顔の造形が心配になる。相手の顔を見れば見るほど、自分の顔の短所が次々に頭に浮かぶ。自分がその場に相応しくない顔面偏差値であるように感じる。

学生時代、飲食店で調理のバイトをしていた時もマスクだった。
勤務時間中はマスクをしているから人の目を見て、笑顔で話せた。「いらっしゃいませ」を堂々と言えた。けれど、勤務が終わってマスクを外すと、その魔法はすぐに解ける。
さっきまで対等に話せていたホールのおしゃれなあの子、お客さんからも人気が高いイケメンなあの子。全員が私より高貴な存在に思えて、身分の違う私はうまく話せなくなる。
目を見て話そうとするけど、すぐに逸らしてしまう。マスクの鎧があった分、外した瞬間心許なさを感じる。
禁断の果実を食べ、裸であることに気づいたアダムとイヴのようだ。恥ずかしい、隠れたい。

マスクをするようになると、人と話すことが苦ではなくなった

コロナ禍でマスクをするようになってから、街で人と話す事が苦でなくなった。
店員さんに声をかけられてもそれとなく返すことができるし、「ありがとう」や「お願いします」をハッキリと言えるようになった。トイレに行った時、鏡で前髪をチェックできるようになった。
「あの人、あの顔で髪型気にしてる」なんて思われる心配もないから。
友達に写真を撮られるのも喜べるようになった。マスクをしていれば、景色や街中にいる自分が写真の邪魔にならずに済んでいる気がするから。
趣味でポートレートをしていたこともあったが、良い写真を撮りたい、友達を可愛く撮りたいという気持ちのどこかに、「自分もこんな風に撮られてみたい」という憧れもあった。憧れと同時に、この見た目では絶対に無理だと自分に呪いをかけていた。だから撮る側に回るのだ、と。

外見至上主義から守ってくれたマスクの社会よ、終わらないで

マスクをした姿は、自分に少しの自信をくれる。顔が隠れていれば、生まれ持った癖毛がかわいく見えるし、標準体重のこの体型も案外嫌いじゃない。お気に入りの服は、誰よりも着こなせていると錯覚を起こす事ができる。
すれ違った人と目が合っても、怖くない。目のぱっちりしたあの子や、鼻筋が綺麗なあの子と話すのもこの姿でなら大丈夫。鼻が低いから、喋っているうちにマスクがズレないように気をつけながら。
コロナでSNSや動画配信の娯楽がより発展したように見えるが、その主たちはみんなマスクをしていなくても顔が良い。「顔が良い」人たちが表に出れば出るほど、私のような顔の良くない人たちの居場所はどんどん狭くなる。羨望のまなざしだけが、研ぎ澄まされていく。
アフターコロナの光がほんの少し差し込んで来た今日。みんなは喜んでいるのかな、マスクの生活は終わってしまうのかな、とふと考える。
外見至上主義から私を守ってくれたマスク。他人と対等だと思わせてくれたマスク。マスクの社会よ、どうか終わらないで。