私は、太っている自分が大好きだ。
二段腹だけども、くびれがあるし胸は大きいし…。
「痩せたい」が口癖の痩せている友人には、理解されないかもしれない。
だけど、私はこれで幸せだ。私がこうなるまでに、痩せて太った苦い経験をした。
親友の一言で太ったり、痩せたり…私は「自分」を否定し続けた
中学2年生の冬、思春期で少し体が丸みを帯び始めていた事に薄々気づいていた頃、親友に「太ってるね」とメールで言われた。
その子は私の憧れで、ファッションなども真似していた存在だった。当時、全てにおいて絶対的に正しいと信じていた子の率直な意見を真に受け、標準体重だった私は「そうか、私は太ってるのか。痩せなきゃ」と自己暗示を掛けてしまい、3ヶ月で8キロ痩せた。
いわば“美容体重”になったが、生理が止まってしまった。生命の危機が迫っていたのにもかかわらず「まだ痩せなきゃ」「運動1時間しなきゃ」と思い込み、常に何かに追われていた。巷でいわれている「痩せたら自信がつきました!」現象は、私には訪れなかった。
しかし、その「太ってるね」と言い放った親友から、今度は「痩せ過ぎて気持ち悪い」と、思っても無かった言葉が返ってきた。
その子に半ば認められようと思って、痩せたのにもかかわらず。その人に否定をされたら、痩せる意味が見出せなくなった。
今度は痩せた自分を否定するかのように、ダイエット中に制限していたクッキーやチョコレートを思う存分食べた。
気づけば、ダイエット前より体重が5キロ増え、“軽度肥満”といわれる体重だった。今まで持っていた服が着れず、新しい服を買いに行っても、ピチピチなのにもかかわらず服のサイズはSを貫いた。太った自分を否定し続けた。
自分の体型の良い所を無視して、体重の増減だけが一人歩きしていた
自己否定を続けていた自分を受け入れるきっかけとなったのが、高校2年生の修学旅行だった。
京都で着物の着付けをする際、ブラジャーの上に長袖の下着とパンツの状態で、着付けをしてくれるおばさんにおずおずと自分の体をさらけ出した。おばさんは、私を目の前に上から下まで視線が移った。すると、さらりと「欧米人みたいな体型ね~みんなが羨む体型ですよ~」と笑顔で言った。
当時の私は、この言葉をポジティブに受け取れなかった。よりによって、なぜコンプレックスだった体型について笑顔で言及されなきゃならないのか。目を背けていた事柄が、明るみに出された気分で落ち込んだ。いや、もはや屈辱だった。
けれども、馬鹿にされたのではなく、本当にそのおばさんは私の体型を羨ましがってたんだと、今になり思った。
私は、太ると胸と腰回りに肉がつき、ウエストや手足にはあまり肉がつかない。くびれがあるといえば良いのだろうか、他の女性のくびれと比べる機会が無かったため、くびれが出来やすいという事も知らなかった。
体重が増えたという事実だけが一人歩きし、自分の体型の良い所を無視していた。それをしなければ、痩せても太っても、自分を好きになる事は出来ないのに。
少しずつ自分を受け入れられるようになり、今では自分の体が大好き
私は着付けをしてくれたおばさんのお陰で、大人の女性の中にはただ痩せる事だけでなく、くびれが欲しい人もいる事に気づいた。
私は太ったけれど、くびれもあるし、良い所もある。そう思えるようになった。
それから少しずつ自分を受け入れる事が出来るようになり、20歳になった今、自分の体が大好きだ。
他の人より、太っているかもしれない。しかし、あの着付けのおばさんに褒められた自分のくびれを強調できる服装を研究し、自分の良い所を魅せるようにしている。
そんな服装をしている時、私は心から輝いている。