一人暮らしをしたいと思う理由に、実家での不穏な空気があった

大学生の時、一人暮らしを熱望していた。
東京23区外にあった大学に通うためには、毎日片道1時間半かかったし、何せ満員電車が嫌いだった。授業を受けている時間よりも、通学時間が長い日もある。なぜ一人暮らしをしなかったのだろう、と今でも思う。
ただ、「大学が遠い」ことは事実だけれど本心ではなくて、一人暮らしをしたいと思う理由はほかにあった。
わたしが高校生だったころから少しずつ家族が歪んでいくような、少し不穏な空気が家の中で流れていたのだ。
今振り返ると、父や母も完璧ではない一人の人間なので仕方がないことだったのかもしれない。しかし、喧嘩の声が聞こえたり、凍り付いた空気を感じたりして、知らない間に涙がこぼれているのだった。

社会人になる直前、わたしは一人暮らしをすることを決意した。
仕事も忙しくなるだろうし、贅沢な暮らしはできないかもしれないが、ある程度の生活を保てるくらいのお給料はもらえそう。実家から離れれば、家族のいざこざからも離れられるし、自分の理想とする生活もできるはず。
そう思って、職場からほど近い場所のワンルームの賃貸契約をした。

誰とも話さない日が増え、外に出かける気力がない日も多くなった

初めての一人暮らしには、わからないことがたくさんあった。不安なことや、慣れないことで溢れていた。でも、これが「オトナ」になるために必要なステップだと思っていたし、耐えて慣れなければいけないと思っていた。

そしてもちろん、実家暮らしとは違う楽しみも増えた。誰に気を遣うこともなく人を呼べるし、好きな時間にお風呂に入れるし、朝早くから活動しても怒られない。今まで知らなかった、生活の中での喜びもたくさん見つけることができた。

ところが、わたしの一人暮らしと同時にやってきたのがパンデミック。最初は自分の時間がたっぷりとれ、今まで手を付けられなかったことにも着手できた。充実した時間を過ごすことができた。仕事も在宅だったので、思った以上に時間の余裕があった。
だが、次第にその余裕が自分のこころを蝕んでいったのだ。

誰とも話さない日がどんどん増えていった。外に出かける気力がない日も多くなっていった。カーテンも開けず、一日中ベッドで寝ている日。食生活は壊滅的で、肌荒れもするし、太っていくし、負のスパイラルにはまってしまっていた。

もう戻るしかない。自分を保つためには仕方がないとわかっていた

でも、「社会人になって一人暮らしをしない」ことは甘えだとずっと思っていた。
「なんで自立しないの?」。そう実家暮らしの友人をなじった。そんな意固地になった自分だったから、自分が実家に帰ることなんて許せなかった。

限界を超える生活をすること数か月。仕事や人間関係でもプチ危機が訪れて、身も心もぼろぼろになっていた。感情がなくなった。ある日突然実家に帰ることを決め、アパートを解約することにした。
実家に戻ることに懸念がないわけではなかったけれど、もう戻るしかないと思った。
それがたとえ甘えであっても、自分を保つためには仕方がないことだとわかっていた。

いざ実家に帰ってみると、家族は温かくわたしを迎えてくれた。かつてわたしが感じていた張り詰めた空気感はなくなっていて、実家は柔らかい場所になっていた。
人の温もりを感じ、心身が少しずつほぐれてきた今、感じることはたくさんあるが、いちばん身にしみて感じること。それはわたしは自分や相手を「べき論」で苦しいほどに縛り上げてしまっていたことだ。

なんらかの正義感をもって「べき論」は形成されていくと思う。けれど、時期や人が変わればその正義は変わる。だから、柔軟性をもってその時や人にとって最適な判断をしたいと感じた。
振り返ってみると、「わたし自身のべき論」に縛られて、自分やたくさんの人を傷つけてしまったのではないかと思う。
25歳になって、懺悔します。
本当にごめんなさい。そして、今気が付けてよかった。