母のことを、心の底から可哀想だと思っている。それはもう、中学生の時から、ずっとそういう風に思っている。
親ガチャという言葉がニュースで取り上げられるようになったが、子ガチャという言葉はあまり聞かない。しかし、親は原則として子どもに大量のコストを支払うことになるので、親子関係はむしろ子ガチャとしての側面が大きいのではないだろうか。
うちの母は、子ガチャで外れを引いている。それも二度だ。私はもちろんのこと、五つ下の妹も外れである。
今は妹が反抗期のピークを迎えており、叱れば癇癪を起すため強く出られず、母はしばしば「お母さん、辞めたい」と言う。ごもっともである。
自分が母の手をどれだけ煩わせてきたかを思う度、妹が癇癪を起こして物を投げる度、「私は絶対に親にはならない」と決意を新たにする。
私は、私のような娘も、妹のような娘も、きっと愛せない。母がなぜ私や妹を許せるのか、さっぱり分からない。分からないから、どうしたって可哀想に見える。
自分が母にならない限り、母が本当に可哀想なのかは分からないが、それを確かめる気にもなれない。私は、母と同じ立場になりたくない。
考えれば考えるほど、母への感謝よりも哀れみが勝る。そんな娘を持つ母が、可哀想で仕方ない。