今年の春、私は8回目の引っ越しをした。高校生のときに半年ほど祖父母の家に居候していたから、8回目と半分というのが正しいだろうか。
一番長く住んでいる家は、どの家だろう。おそらく4つめの家であると思うが、住んでいたのは5年くらいではなかっただろうか。
私は23歳で、引っ越しは8回と半分だから、平均すると1つの家に2年と8カ月くらい住んでいた計算になる。ちなみに転勤族の家庭の子ではない。
家なんて住めればいい。居心地の良さなんて考えたこともなかった
いろんな事情があって近場を転々としたのち、大学進学をきっかけに18歳からひとり暮らしを始め、今はひとり暮らし2つめの家に住んでいることになる。
今の実家が実家となってからは6年くらいになるが、そのうち4年半くらいは1人暮らしをしているし、半年間祖父母の家での居候期間もあるから、住んでいたのは1年程、か。
初めて計算してみたが、思っていたよりも短いことに気づく。
家なんて住めればいいと思っていた。居心地の良さなんて考えたこともなかった。家具を買うときの基準は、できるだけ地味な色で、無地のモノを。
気分屋な自分の性格を理解したうえで、いつでも部屋の雰囲気を変えられるようにそうしていると思っていたが、「どうせ引っ越すからなんでもいい」と心のどこかで思っていたのかもしれない。
もともとモノを手放すことにもあまり抵抗がなく、使わないものはすぐにリサイクルに出し、着ない服は妹にあげ、化粧品もなくなるまで買い足さない(今気づいたが、美容系のアイテムで2000円以上するものはほとんど貰い物である……。華の23歳として勿体ないような気がしてきた。今年のクリスマスには何か自分に特別なモノを買ってあげよう)。
気持ちまで閉鎖的になるような、不健康な空間に住んでいた
そんな私を変えたのは、あの自粛生活であった。
ベッドとこたつと本棚がひしめき合う6畳の部屋に閉じ込もり、人と会わず買い物もせず、スタバで一人ティーラテを飲んでお洒落な自分を演出、なんてもちろん許されないし、帰省も結局1年半くらいしなかった。
そんな生活をする中で、自分の部屋が相当に居心地のいい場所でないことが明らかになった。
ホッとするなんて言葉の似合わない、気持ちまで閉鎖的になるような不健康な空間だった。そう、不健康な空間というが一番似合う部屋だったと思う。
そしてもうひとつ気づいたのは、私が相当に寂しがり屋な人間であったことである。
思い返せば、それまで私の部屋は寝て起きてお風呂に入る場所でしかなかった。昼間は友達と大学にいたし、夜は遅くまで居酒屋でバイトをして、常連さんやオーナーとのお喋りが楽しみだった。
バイトがない日は友達の家で夜遅くまで映画を観て、そのまま泊まって朝家に帰ることも度々あった。用事のない日は街へ買い物に出かけたし、勉強や就職活動でESを書くときには図書館かスタバにいた。
そういえば実家に住んでいるときでさえも、部屋でゆっくりする時間なんてほとんどなかったように思う。
こんなにも住む場所に無頓着な生活をしてきたこと、そして必ず誰かと一緒に過ごしてきたことを初めて自覚した。
次第に就職活動のモチベーションは「綺麗で洒落た自分だけの部屋に住むこと」になり、就職活動の合間を縫って物件やインテリアを心行くまで探索した。
自分の部屋家が大好きになった私。暮らしの起点を創ることに成功したから
そんなこんなで、8回と半分回目の家に住んでいるわけだが、私は自分の家が大好きである。洒落た部屋ではないが、半年かけて厳選した物件に、厳選した家具をお気に入りの配置で並べて、超快適空間の創作は大成功を収めた。
あんなにスタバで過ごすお洒落な自分に酔っていたのに、今はできればスタバはテイクアウトして、自分の部屋でゆっくり飲みたいと思う。映画館で誰かと最新映画を観るのもいいけれど、人をダメにするソファの上でビールを飲みながら海外ドラマを観たい。
お気に入りの本はお気に入りの本棚に並べられているし、1週間前には加湿もしてくれるセラミックヒーターを購入した。最高の我が家である。仕事で疲れて帰ってきても、彼氏と喧嘩をしてデートが中断しても、私が揃えた家具はいつでも私の味方をしてくれるような気がして、ひとりの時間も寂しくなくなった。私の人生は我が家を起点に紡がれているのである。
嗚呼ひとり暮らし万歳である。自由で気ままに暮らせるこの部屋でなら、一生独身もいいかもしれない。いつか結婚するかもしれないし、実家に戻る日が来るかもしれないし、もしかしたら海外に住むことがあるかもしれない。
生活が変われば暮らしも変わるだろう。暮らしの起点を創ることに成功した今なら、きっとどんな暮らしになったとしても、ひとりで強くいられるはずだ。
さて、今のうちに存分に、この暮らしを満喫するとしよう。