私は今までひとり暮らしをしたことがない。大学を選ぶ際も実家から通える範囲を優先したし、今も在宅ワーカーのフリーランスだから実家暮らしだ。
そういう話をすると決まって「甘やかされてるね」という一言を頂戴する。ネットではひとり暮らしは偉くて実家暮らしは甘え、という意見を散見する。
まあ、実際甘やかされてはいるのだろう。生活費は家族と折半だから抑えられるし、忙しい時は作ってもらえる。洗濯だって掃除だって分担だから全てやる必要もない。
だけど本当にそれだけで「甘えている」といえるのだろうか。私は全く思わない。だってひとり暮らしとは比べようもない生活だからだ。

実家暮らしも結構辛く、自分の好きなものより家族優先になる

我が家は、3LDKのマンションに6人で生活している。実家暮らしをしていると、まず自分の部屋はない。趣味のものなんて置いておけない。プライバシーもない。今書いているこのエッセイも、自分と見つめ合わなければ書けないからみんなが寝静まった後にこっそり書いている。結構辛い。
自分の好きなものより家族優先になるのもこの生活特有だ。
食べたい時に食べる、ということとはまず無縁になるし、逆に食べたくなくともご飯は食べなけれないけない。
また、自分が体調不良でも他のメンバーは元気ということが往々にしてある。民主主義な我が家は、多数決が基本的指針だ。だからこそ元気なメンバーの方に基準を合わせるしかない。少なくとも家族の中でもまだ成人していない弟と妹に基準を合わせる。
ひとり暮らしはそういうのがないからちょっと羨ましい。生理痛でうめいていても、コロナワクチンで熱を出していても、動けない限りは動かなければ家は回らない。

家族という歯車を回すため、回転数を変えないことが実家暮らしの条件

こういう話をすると虐待とか言われることがあるのだが、全くそんなことはない。
我が家は毒親でもなんでもない家だ。むしろ、しんどかったら休んでいいよと言ってくれるし、成人して数年経つ娘が実家にいても何も言わない。親とも関係は良好だ。人生の先輩として、敬愛できる親だ。
それでも、いやだからこそ自分の範囲の仕事はきっちりやらないといけないのだ。それが複数人で住むということだから。
我が家は、6人の歯車で回っている。ならばその歯車はしっかり定められた回転数を回らなければいけない。それが家族というものだと思う。

私はわりあいフリーランスで時間があるから大きめの歯車を回しているだけだ。弟と妹は学校での拘束時間が短いし、まだ年齢は小さい。母も精一杯、なんならほぼ協力してくれない父親がわりに2人分の歯車を回している。
ただ、それだけ。自分で回転数を変えても許されるのがひとり暮らしだとするならば、実家暮らしは回転数を変えてはいけない。どれほどしんどくても。それが実家暮らしの条件だ。

実家からひとり暮らしへ。とうとう青い芝生に足を踏み入れる

だからこそ、私はひとり暮らしと実家暮らしは比べようがない、と思う。おそらくお互い己の生活という機構における歯車だ。そして渦中にいれば自分のことをメタ的な視点で見られない。隣の芝生が青く見えるだけだ。
多分、私の主張する実家暮らしの条件も甘っちょろいと言われるだろう。私もひとり暮らしのいわゆる「青い芝生」だけしか見えていない。

そんな私は、来春、実家を離れることが決まった。仕事の関係上、どうしても移住が必要になったのだ。
とうとう青い芝生に足を踏み入れることになったのが怖い。実家暮らしはしんどいけれど、仲が良い家族がいる実家は心地よかった。自分の物も時間も空間もなかったこの場所だけれど、逆に言えば家族とほぼ「融合して」生活していたようなものだ。くせもタイミングも同じだった彼らを離れ、ひとり歩むことになる。
青い芝生がどのような感触で、どのような香りで、どんな光を浴びるのか。私は来年3月、それを確かめに行く。
もう実家には戻らないだろう。そんな予感を胸に抱いたまま、歩んでいく。